なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『あさがくるまえに』

asagakurumaeni_main_convert_20170810092342.jpg


心臓移植をテーマした2016年の劇映画。
フランス拠点に活動している80年生まれの女性カテル・キレベレ監督の長編3作目だ。
エキセントリックなことはせず、
シンプルに、静かに、ドラマチックに、ストーリーを進め、
じわじわ染み入ってくる佳作である。

asagakurumaeni_sub05.jpg

フランス北西部の港湾都市ル・アーブルでサーフィン好きな青年が交通事故で脳死状態になる。
病院を訪れた両親はまもなく臓器移植を提案されるも受け入れる精神状態になかったが、
臓器移植コーディネーターが二人に向き合う。
一方で心臓に難のある音楽家の中年女性がパリにいて、
希望者が多い中で余生が長くない自分に心臓移植を受ける資格があるのかと悩む。
お互いに時間はない。

例によってネタバレを最小限にすべく物語の大筋だけを書いてみた。

asagakurumaeni_sub07_convert_20170810092424.jpg

ほとんどのシーンで特に凝った見せ方はしてないが、
こまやかな感情のひとつひとつも、ちょっとした行為のひとつひとつも、
ていねいに描き込んでいて引き込まれる。

とりわけ一人一人の人物の気持ちは観ていてひしひしと伝わってくる。
双方の葛藤がかなり感情を押さえて淡々とと言ってもいいほど落ち着いて描かれていて、
だからこそゆっくりと僕の中に深く入ってきた。
特に提供する側であるドナーの方、
といって本人は脳死状態だからその両親は観ていて僕もつらくなった。

asagakurumaeni_sub02_convert_20170810092502.jpg

もちろん基本的には張りつめている映画だが、
緊迫感に覆われたシーンは限定集中させ、
それ以外はゆっくりほぼ“平常運転”なのがとてもリアルだ。
ナチュラルに人間たちを描き込み、
ギリギリの状況で湧き上がった提供する側と提供される側のふたつの家族愛を
さりげなく浮き彫りにする。

関係人物の“日常”を適宜見せるところもポイントだ。
医師関係の一人が現場から離れて唐突にメールしたりセックスを夢想するシーンも、
四六時中緊張しているわけではなくヘヴィな仕事から離れた瞬間ふとそういうこともあるという感じで、
くだけたシーンを適宜挿入することで自然な仕上がりに一役買っている。
移植を待つ音楽家の中年女性の息子たちの様子も、
かなり“普段どおり”っぽいのが逆にリアルだ。

asagakurumaeni_sub12_convert_20170810092527.jpg

この映画の中で唯一ずっと息を抜いてないのはドナーの青年の両親だ。
終始顔はこわばっていて痛々しくてたまらないのだが、
それだけに映画の最後の方の二人には僕も解き放たれた気持ちになった。

心臓を提供する青年に対する臓器移植コーディネーターの行為のひとつひとつが、
ゆっくりと圧倒されるほど敬意にあふれていて胸が打たれる。
脳死状態から“解放”する直前の最期のひと時に、
真摯な態度で青年に語り掛け、
記憶を呼び覚ますような“ある音”を聞かせ、
手術後の誠実なケアにもジワッとくる。

asagakurumaeni_sub10_convert_20170810092614.jpg

映像の力をあらためて思い知らされる。
序盤は生を謳歌する青年の溌剌としたまぶしい映像で、
ファンタジックに見えるほどの映像はもしかしたらこの時点で青年は“最果て”に到達していたのかもしれないとも思わせる。
そこから“暗転”とともに映像は人間たちの葛藤へと移り、
そして“再生”の緊張の時間の映像へと続く。
なだらかにストーリーが流れていって3つも4つも映画を続けて観ている気持ちにもなる。

序盤の交通事故のシーンと
臓器を移動するシーンは“スピードが求められる”場面だから速く、
他のシーンはスロー、
というか落ち着いている。
取り乱さず、諦観の境地のように、
みんな覚悟を決めている、

大半を占める微妙に冷たい質感の映像色もぴったりだ。
対照的に、昏睡状態になった青年の生前の姿をフラッシュバックする映像にはあたたかみを感じる。
いちばんの思い出をよみがえらせる甘い回想イメージのシーンと、
心臓を取り出そうとする映像へと移る生々しい現実への転換の落差にも静かに息を呑み、
どれほど移植が生々しいものかとリアルに手術シーンを淡々と映し出す。

asagakurumaeni_sub06_convert_20170810092637.jpg

何より役者がみんな好演である。
映画の鍵を握る臓器移植コーディネイター役のタハール・ラヒム(『預言者』他)、
ロマン・ポランスキーの妻でもあるエマニュエル・セニエ(『エッセンシャル・キリング』他)、
歌手としても知られるアンヌ・ドルヴァル(『マイ・マザー』他)らはもちろんのこと、
無名も新人も過剰さを排してまっすぐ役の中に入り込んでいるのだ。

劇中では適宜アンビエント音楽などが使われ、
エンディングにはデイヴィッド・ボウイが“限られた時間”を歌う「Five Years」を使っている。

asagakurumaeni_sub08_convert_20170810092658.jpg

英語だと心臓も心も単語は“heart”。
頭が支配するものではなく、
感情、心情、愛情といった人間らしさを司る気持も意味する。

この映画の試写会のとき、
僕の隣で観ていた20~30代と思しき女性が終盤ずっとハンカチで目を押さえながら観ていた。
青年に思い出を蘇らせるシーンから長い手術シーンを経て“heart”が新しいボディで生きるまで
ずっと泣いていた。
手術シーンはエグくて生理的に苦手な方もいるかもしれないが、
切開から取り出して縫合までをしっかり“生”で映し出しているからこそ、
いかにもの感動とは異なる“生”の深さをたたえている。

オススメ。


★映画『あさがくるまえに』
2016年/フランス=ベルギー/104分/原題:Réparer les vivants
提供:リアリーライクフィルムズ/配給:リアリーライクフィルムズ/コピアポア・フィルム
9月16日(土)より ヒューマントラスト渋谷 他 全国順次にてロードショー。
© Les Films Pelléas, Les Films du Bélier, Films Distribution / ReallyLikeFilms
www.reallylikefilms.com/asakuru


スポンサーサイト

レコード・コレクターズ 2017年9月号

RC-201709.jpg


●ゴースト(日本のバンド)
初期作のリイシュー盤の紹介。
V.A.『Tokyo Flashback P.S.F. ~Psychedelic Speed Freaks~』にも言及。


●リイシュー・アルバム・ガイド
★キャロル・グライムス『ウォーム・ブラッド』
★アシュトン・ガードナー・アンド・ダイク
・『デビュー!』
・『ワースト・オブ・アシュトン・ガードナー・アンド・ダイク』
・『永過ぎた一日』

CRYPTIC SLAUGHTER
★CRYPTIC SLAUGHTER『The Lowlife Chronicles Cryptic Slaughter 1984 -1988』(F.O.A.D. F.O.A.D. 118)CD+DVD


映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』

in_main.jpg


『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』で知られる
旧ユーゴスラヴィア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身のエミール・クストリッツァが、
『マラドーナ』以来約9年ぶりに監督をした新作。
観終わった後に“お見事!”と膝を打ちたくなるグレイト!な映画だ。
映画が始まって10秒でスクリーンの中に飲み込まれ、
3分で“クストリッツァ・ワールド”から抜け出られなくなってしまう。

戦争とラヴロマンスを“クストリッツァ・ブレンド”し、
『007 スペクター』のボンドガールのモニカ・ベルッチがヒロインとなり、
監督・脚本だけでなく自分の長編映画で初めて主演を務めた奇才クストリッツァの役者ぶりにもヤられる。
多芸でもそつなく“そこそこ”に留める如才ない人とは違って体裁気にせず全力投球し、
ところどころに入るバンドでは打弦楽器のツィンバロムの演奏で盛り立てている。

毎度のことながら気持いいほど強引なパワーでポップにハジけつつもほろ苦い哀感に彩られ、
ごった煮で色んなダシが効いていて一晩でも二晩でも呑み語り明かせる映画である。
青空の下でやる闇鍋パーティみたいに具が詰まった快活作ながら、
楽しすぎた後に打ちひしがれる寂しさも味わえる。

in_sub01.jpg

隣国と戦争中のとある国で、
右肩にハヤブサを乗せたコスタ(エミール・クストリッツァ)は、
戦線の兵士たちにミルクを届けるために毎日銃弾をかわしながらロバに乗って村から前線を渡っている。

村には愉快な母親と一緒に住む活発でやんちゃなミルク売りの人気っ娘ミレナがいて、
そのミルクの配達係で雇われているコスタに想いを寄せる。
ミレナは戦争が終わったら戦場から帰ってくる村の英雄の兵士の兄のために、
難民キャンプにいた美女(モニカ・ベルッチ)を“花嫁”として“スカウト”して家に住まわせる。
兄の結婚と同じ日にミレナはコスタと結婚する計画を立てるが、
コスタはその“花嫁”と出会って一目惚れしてしまう。

そうこうしているうちに戦争は休戦になって村はお祭り状態になるが、
実のところ“花嫁”は戦争終結のための多国籍軍の英国将校に追っかけられている人物で、
特殊部隊が村を襲撃。
「大切なのは何があろうと愛すること」
そのために二人の逃避行が始まる。

in_sub09.jpg

架空の国の設定ながらセルビア語が使われている時点で
ヨーロッパ南東部のバルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国が舞台とほのめかしている。
代表作であり問題作にもなった『アンダーグラウンド』のようにさりげなく自身の民族性を打ち出し、
クストリッツァの“郷土愛(not 愛国心)”も見え隠れしている。
フォークランド紛争絡みで必然的に反英的にもなった前作『マラドーナ』の流れか、
“花嫁”を追う将校が多国籍軍の中の英国の人間というのも意味深で、
多国籍軍云々という設定も民族浄化中の旧ユーゴスラビアを90年代に空爆したNATO等もイメージする。
“花嫁”と結婚する予定だったのがアフガニスタンで武功を上げた英雄という設定も、
今の世界的な政治状況とダブらせているように思える。

かつて“政治的!”と叩かれて映画から“足を洗おうとした”にもかかわらず懲りないというか、
何気に挑発的な“クストリッツァ節”も健在というわけだ。
現実の国名を絡めることで何倍もイメージが広がるし、
架空の国の設定だろうがリアリズムが増して生々しくなっている。
様々な点でモザイクなバルカン半島で生活してきたクストリッツァならではで、
音楽と同じく意識が内向きじゃないからこそダイナミックなのである。

in_sub03.jpg


Emir Kusturica & The NO SMOKONG BANDのメンバーであり監督の息子でもある、
ストリボール・クストリッツァが手掛けた強烈なバルカン・ミュージックが全編を彩るのも注目だ。
映画の中の村の宴などのシーンの実演奏も含めて、
一般的なバルカン音楽のイメージの快活ミュージックがナイスなタイミングでミックスされる。

その音がまた通常の映画の何倍も大きいのだが、
うるさく感じるどころかピッタリとハマっているから音楽もそのシーンを彩る背景、
いや生き物のように“共演”して自己主張している。
いわゆる曲とは一味違うプリミティヴな打楽器の音が絶妙に挿入されるところもポイントで、
人物の微妙な心理状態を浮き彫りにしている。
なにしろ音楽と共振して映画全体で緩急織り交ぜたテンポが良くて持っていかれるのだ。

in_sub07.jpg

セリフの妙味の効いた映画だが、
セリフに頼ってない映画でもある。

匂ってくるほど鮮やかでアクの強い色合いの映像力も見事と言うほかないし、
生活感プンプンであるにもかかわらず非日常の景色と風景ばかりで圧倒し、
遠近の使い方にも舌を巻く。
例によってちょっとした瞬間に何が起こるかわからない油断大敵の映像展開で、
昔の映画みたいにアイテムの一つ一つを注意して見てしまうほどだディテールからも目が離せない。
いわゆる本格的な映像に加えて遊び心が転がっていて、
手作り感いっぱいのチープにこしらえた漫画ちっくで原始的な仕掛けや撮りもお楽しみだ。
とにかく頓智と粋のバランスとブレンドが絶妙なのである。

in_sub02.jpg

戦争の悲惨さを伝えてもいるが、
もちろんそこはクストリッツァ、あまりセンチメンタルにはしない。

主要登場人物だけでなく出てくる全員が死と隣り合わせの生活でもあまり悲壮感がない。
村人も呑気と言えるほどの暮らしぶりで庶民の強さしぶとさがエナジーとなって放射される。
国同士のいわゆる戦争でなくても内戦などでこういう状況は今も世界中で現在進行形なわけだが、
自身の体験を踏まえているのか一種の楽観性がクストリッツァ流だ。
戦争も笑い飛ばすかのようにすべての人が楽天的で人生を謳歌し、
ハッピーなダンスと音楽を楽しんで解き放たれている。
とある人物が言った「戦争を楽しんでやがる」という言葉が色々な意味で解釈して当てはまるほどだ。
でも“宴”のあとの怖さとも言うべきか後半は、
どこぞの宗教の狂信テロリストが敵側の人間が集う結婚式にもぐりこんでくるような状態に突入していく。

in_sub06.jpg

クストリッツァならではの動物てんこ盛り映画であるところも特筆したい。
ドキュメンタリーゆえにそうはいなかった前作『マラドーナ』の反動とばかりに五割り増しで、
哺乳類、鳥類、爬虫類、昆虫類、植物などなどの“あらゆる役者”が映画のスパイスになっている。
この映画におけるクストリッツァの“守護鳥”のハヤブサをはじめとして、
そういった生き物たちの絶妙の“演技”も驚きの連続だ。

人間も含めてみんな平等な“生き物賛歌”の映画にも思えるが、
そうナイーヴに言い切れないからこそ彫りの深い映画である。
豚、大蛇、羊などまさに無数の種類の生き物が無数“出演”。
序盤と終盤に“強烈な犠牲シーン”を象徴的に生々しく見せ、
その間にはずっと人間と他の生き物の共存共生を見せる構成は
偶然ではないだろう。
血を流して殺された生き物を食って血を流す戦争をする人間というオメデタイ生き物の“業”を描きながら、
人間に殺されるために生まれてきた生き物と
平穏な生き物たちと
人間の“とばっちり”で殺される生き物でスクリーンを埋める。
クストリッツァの命を救う生き物と“花嫁”の運命を決めた生き物が同じというのも偶然ではない。

僕がここでその解釈を書くと先入観を植えつけてしまうから観た方一人一人が個人で感じていただきたい。

in_sub08.jpg

万歳!で映画を締めないところに、
僕はこれまでのクストリッツァ作品とは一味違うリアリティを感じる。
終盤、
自ら“演じている”だけにクストリッツァ自身が何かに対して“贖罪”しているように映るのは
深読みだろうか。
センチメンタルの断崖の端っこで飛び込むのを留まって涙をこらえているクストリッツァが目に浮かぶ。
最後にクストリッツァが石を運んでいる地は、
過去の被害と加害の彼岸、
そしてやっぱり善悪の彼岸の地に見える。

映画のタイトルに含むフレーズの“milky road”は、
クストリッツァがミルク運び人ということに引っ掛けただけでなく、
“milky way(天の川/銀河)”をもじったものではないか。
七夕の男女の物語は“アジアの神話”らしいが、
『オン・ザ・ミルキー・ロード』そのものじゃないか。

必見。


★映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』
2016年/セルビア・イギリス・アメリカ/125分
配給:ファントム・フィルム
9/15(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー。
(C)2016 LOVE AND WAR LLC
http://onthemilkyroad.jp/


MUNICIPAL WASTE『Slime And Punishment』

MUNICIPAL WASTE『Slime and Punishment』


2000年代の頭から活動している米国東部リッチモンド出身のメタル/バンク・クロスオーヴァー・バンド、
“ミュニシパル・ウェイスト”の6作目。

『The Fatal Feast』以来の約5年ぶりのリリースだが、
その間にメンバーのうち2人は、
2010年代に入ってから結成されたIRON REAGANの方でアルバム3作を出している。
トニー・フォレスタはどちらもヴォーカルで、
フィル・ホール(ランドフィル)はIRON REAGANではギターだがMUNICIPAL WASTEだとベースを弾く。
本作のレコーディングは、
IRON REAGANの録音技師としても活躍しているそのフィルが行なった。


“余計な事”をしない潔いバンドだから今回も間違いなしだ。
実はギターが2本になった初の作品だが、
アルバム全体の中の心憎い位置に突っ込んであるインスト・ナンバーをはじめとして
簡潔にハーモニーも挿入するツイン・ギターが活きている。
楽器構成もIRON REAGANと同じになったわけだが、
もちろん演奏者とソングライターが違えば内容も違ってくる。
歌詞も含めてIRON REAGANが素朴なフラストレイション炸裂だとしたら、
MUNICIPAL WASTEはサウンドも含めて
さりげなくプリミティヴなインテリジェンスも感じさせる。

確かにクロスオーヴァーと言われてきたパンクとメタルの混血音楽スタイルだが、
米国のS.O.D.などのへヴィ・メタル・サイドからパンクにアプローチしたバンドとは一味違う。
もっと微妙にゆるいのだ。
スラッシーでエッジの効いた音だから、
MOTORHEADタイプのいわゆるメタル・パンクとも違う。
プラケースを包んであったビニールに貼ってあるステッカーに
“FROM THE SPEED METAL PUNKS!”と書かれているように、
“スピード・メタル・パンク”という言葉がピッタリだ。

2003年のファースト・アルバムを
CAPITALIST CASUALTIESのメンバーらによるレーベルから出したことに表れているように、
もともとハードコア・パンクのシーンから出てきたバンドだから、
パンク・ロックの流れをくむ音の抜けの良さが気持ちいい。
パンク・ロック・テイストは、
デイヴ・ウィッテ(元DISCORDANCE AXIS~BURNT BY THE SUN)のドラムによるところも大だ。
IRON REAGANのドラマー(元DARKEST HOUR)のビートも適度に軽妙でメタルすぎないが、
風通しが良くて適度に乾いたデイヴのビートは今回も実にいい味を出している。

80年代の米国のバンドだとCRYPTIC SLAUGHTERにも近いが、
ちょいメタルがかった80年代後半の英国のハードコア・パンク・バンド・・・
たとえばHERESYやRIPCORD、CONCRETE SOXあたりもところどころで思い出す。
ちょいギターが遊んでコーラスを多用するキャッチーな曲の構成は、
80年代後半のスラッシーな日本のハードコア・パンク・バンドっぽかったりもする。

ウソ臭い気合マンマンものはただ疲れるだけだが、
気持ちいいツボを心得た曲作りと音作りでビシッ!と仕上げ、
こういう曲が14曲続いても聴いていて疲れないセルフ・プロデュースもお見事。
ちょい高い声域のヴォーカルも押しつけがましくなくていい。
『Cause For Alarm』(86年)や『Liberty And Justice For...』(87年)といった
クロスオーヴァーな名盤も出してきた、
AGNOSTIC FRONTのリーダーのヴィニー・スティグマがヴォーカルで1曲に参加しているのも、
ちょっとした話題である。

ブックレット裏表紙のメンバー写真が示すようにビールが美味いアルバムであることも言うまでもない。
これまた最近のへヴィ・ローテーションだ。


★MUNICIPAL WASTE『Slime And Punishment』(NUCLEAR BLAST 3233-2)CD
12ページのブックレット封入。


映画『追想』(1975年のフランス映画)[デジタル・リマスター版]

main_convert_20170810091759.jpg


ナチス・ドイツ占領下のフランスを舞台にした1975年のフランスの名作が、
9月9日からデジタル・リマスター版で上映される
(同じ邦題の1956年の米国映画も存在するから注意)。
日本で劇場公開されるのは1976年以来とのことだ。

『冒険者たち』で知られるロベール・アンリコが監督し、
『地下鉄のザジ』『ニュー・シネマ・パラダイス』でお馴染みのフィリップ・ノワレと、
『ルートヴィヒ/神々の黄昏』『離愁』で有名なロミー・シュナイダーが主演を務める復讐劇である。

sub_02_convert_20170810091850.jpg

時は1944年、
既に劣勢ながらドイツはフランス内でパルチザン狩りを続けていた。
ノワレ演じる外科医は妻と娘を村に疎開させるが、
連絡が取れなくなったので心配して疎開先を訪れると村人たちの惨殺死体が。
銃だけでなく火炎放射器も使うナチス武装親衛隊(SS)の仕業で、
まもなく外科医は妻と娘を発見。
変わり果てた二人を見て外科医はどのようにヤられたかを想像して錯乱し、
逆上。
銃を手にしてたった一人で“レジスタンス”に立ち上がる。

sub_03_convert_20170810091912.jpg

物語をリードする復讐男のノワレがイケメンの青年ではなく、
パッとしないオッサンだけに豹変ぶりが強烈だ。
バツイチの子持ちで、
シュナイダーが演じる高嶺の花を必死で口説いて再婚し、
自分たちの子どもを作ろうと張り切っていた矢先のこと。
激昂の沸点は計り知れない。

sub_01_convert_20170810092011.jpg

復讐ものは映画でもドラマでも定番である。
不条理だらけの世の中だから永久不滅なのだ。
戦時下でなくても古今東西、立法も行政も司法もトンチンカンだから自ら“処刑人”として立つ。
当事者の気持ちなんかそっちのけの人権屋の出る幕じゃない。

もちろん十人十色だしチャールズ・ブロンソンの一連の復讐映画もアメリカン全開で大好きだが、
この映画はフランス流と言うべきか、
クールに息の根を止める。
しかもまとめて殺すというよりは、
昭和時代初頭の右翼の血盟団じゃないが一人一殺である。
SSの人間を、一人、また一人、仕留める。
家族で楽しかった頃のことを、何度も、何度も、何度も、“追想”しながら。

しかも一人で復讐することにこだわる。
しかも仲間が「一緒に戦おう」と言おうが、
あえてウソをついてあくまでも自分一人が手を下すことに意味があるから断る。
やっぱりつるむことなく淡々と事を遂行する人間は尊い。

sub_05_convert_20170810092041.jpg

オープニングとエンディングが似たような映像と音楽なのも意味深長だ。
オープニングにはピッタリの映像をラストにも持ってきたのは
しあわせだったころのフラッシュバックなのかもしれないが、
映画のムードの流れからして残酷なほどの違和感だけに厭戦の思いの深さを感じる。

タイプは違うが、
ナチス・ドイツが進出/占拠した国で劣勢になっている状況下の映画という点では共通するから、
先日紹介した同時期上映の『戦争のはらわた』と合わせて観るとまた格別である。
アラブやアフリカ北部をはじめとして、
今の世界中の状況ともリンクする“現在進行形”のリアルな映画だ。


★映画『追想』
1975年/フランス/105分
9月9日(土)新宿シネマカリテほか全国順次公開
© 2011 – LCJ Editions et Productions. ALL RIGHTS RESERVED.
http://tsuisou.com/


 | HOME |  古い日記に行く »

文字サイズの変更

プロフィール

行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (9)
HEAVY ROCK (241)
JOB/WORK (291)
映画 (254)
PUNK ROCK/HARDCORE (0)
METAL (43)
METAL/HARDCORE (47)
PUNK/HARDCORE (413)
EXTREME METAL (129)
UNDERGROUND? (94)
ALTERNATIVE ROCK/NEW WAVE (121)
FEMALE SINGER (42)
POPULAR MUSIC (25)
ROCK (83)
本 (9)

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

FC2Ad

Template by たけやん