なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『静かなふたり』

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2011年の『ベルヴィル・トーキョー』に続く、
74年フランス生まれのエリーズ・ジラール監督による長編2作目。
快作と呼ぶにはまさにbittersweetな甘く苦すぎる映画である。
オッサンの視点ではなくアラフォーの女性監督ならではの観点で、
“年の差カップル”をロマンチック&シビアに描く佳作だ。


主人公は27才の女。
行きつけのカフェで目にした
“貸し間:ワンルーム 家賃:数時間の労働 当書店「緑の麦畑」へ来店のこと”という貼り紙に反応して、
まもなくそのパリの古本屋を訪れる。
頑固そうな70才弱の男が運営していたが、
その二階の部屋に猫と引っ越して働くことを決める。
商売っ気ゼロのその男はちょっとした変人だったが、
労働賃金以上の“金銭援助”に戸惑いつつワケありの男とわかってからも女は惹かれていく。
男の方も女をただのアルバイトとしては見ていない。
出会ってからお互いが何かから解き放たれていったようである。

でもなかなか“一線”は越えられない。
というかいつまでも“一線”は越えない。

ある日ぽっかり心に穴が開いた女が映画館にインドの映画『チャルラータ』を観に行くと、
書店主とはあらゆる点で対照的な男が隣に座ってきた。

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例によってネタバレを極力少なくするため思い切り省略して話の流れを書いてみた。

まずフランス臭い映像センスにしょっぱなからヤられる。
パリの媚薬はこんな匂いだろうと想像させる気温が低そうな寒色の映像のだ。
奇をてらわずに大胆なアングルや対象との適度な距離感も申し分ない。
グレイトな映画のすべてがそうであるようにまず映像そのものに持っていかれる。

カット割りも絶妙だ。
長回しせずに比較的細かく切っていて一つのシーンを長く続けないからこそ、
落ち着いた映画にもかかわらずテンポの良さを生み出している。
グレイトな映画のすべてがそうであるように無駄な部分をさりげなく削ぎ落し、
最近の映画では珍しい長さの70分に濃縮した編集が素晴らしい。
さっぱりしている。
いい感じで乾燥している。
淡泊というより淡い。
パリの街並みの映し方も静謐でゆっくり迫ってくる。

こういったところがデリケイトに撮られているからこそ女と男の意識の流れも浮き彫りになっている。

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最近の日本映画に目立つ“自分の身の回りのこと”に絞ったような物語の映画にもかかわらず、
えらく普遍的で深い。
身内ウケみたいなノリとは百万光年かけ離れている。
意識が外に向いているからである。

女と男の静かなるキャラ立ちがとても自然だ。
女は自分を「つまらない女」と卑下する。
「気ままに生きよう」と言う男は気難しく偏屈で、
政治問題に関してシニカルだし人生に対して冷めている。
孤独者同士で世代間で生じる価値観の違いを楽しんでいるようにも見える。

女と男の遠慮のないトークが楽しい。
ウィット・・・いやまさにエスプリが効いている。
インテリジェンスに富むが、
フランス映画につきまとうスノッブとは違うしインテリ気取って難しい言葉を使うようなことをせず、
会話がとてもわかりやすいところも特筆したい。

とはいえ“デート”は沈黙の時間が長い。
言葉を必要としない二人とも言えるし、
お互いの“腫れ物”に触れつつ、
お互いが“一歩踏み込むこと”に躊躇しているようにも映る。
そのジリジリした時間がもどかしいが、
そのジリジリした時間が二人の最高のしあわせの時間だったようにも映る。

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すべて聴き逃がせない“会話の見せ方”にもうならされる映画だ。
もちろん大半は会話と一致した通常の映像で構成されているが、
ロマンスめいた言葉に限って実際に語っている場面ではなく二人のイメージ映像が使われている。


女「孤独を感じないの、生まれて初めて」

男「君を信じている」
女「私を信じてくれた人は初めて」

男「夕べ、君と愛し合う夢を見た」
女「私も」

女「ジュテーム(Je t'aime~愛している)」
男「私もだよ」

女「私は大人。あなたは反抗する子供」

女「あなたは愛が足りない人だから」


二人の関係の肝になるこういったセリフが、
実際に二人の間で交わされていたというよりは、
女がカフェや自室でノートに綴っている妄想や夢想や願望に思えてくる作りに痺れるばかりだ。

そんな女が繰り返す“独り言”は、
「年が近かったらよかった」。

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僕はこの映画の女にも男にもシンパシーを覚える。
特にこの男、
置かれている状況も年齢も違うが、
反核デモに対する意見も含めて“ファック・ユー!”アティテュードがとても他人とは思えない。
観ていて何度も笑ってしまったが、
爆笑というよりは“くすっ”“プッ!”といった類いの笑いである。

そんなふうに笑っていたからこそラストに至る物語の流れには複雑な思いを抱いた。
ネタバレしないように映画を観てない方に向けてこのブログは書いているから思いを封印するが、
男は自分の殻を破れてしあわせになっている娘を見る父親の気持ちなのだろうか。
ポリティカルな問題も含めて、
女の選択がリベラルかつ現実的で自然と言えばそのとおりだ。
それほどまでにクールなほろ苦さを味わうために、何度でも、何度でも、観たくなる。

さりげなく挿入される音楽も粋だ。
ただ物語を追わせるだけに終わらず時間が経つにつれて酔いが強くなるワインの如く芳醇な、
まさに映画ならではの“五感表現”に痺れるしかない。
オススメ。


★映画『静かなふたり』
2017年|原題:Drôles d'oiseaux|フランス|カラ―|73分
出演: ロリータ・シャマ(『マリー・アントワネットに別れをつげて』)、ジャン・ソレル(『昼顔』)、
ヴィルジニー・ルドワイヤン(『8人の女たち』)他。
10月14日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
©KinoEletron - Reborn Production - Mikino – 2016
公式サイト:mermaidfilms.co.jp/shizukanafutari


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映画“ヘルツォーク特集2017<誕生!ヘルツォーク>”+映画『問いかける焦土』

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1942年9月5日ドイツ生まれの奇才ヴェルナー・ヘルツォークの監督の75歳を記念して、
東名阪で“ヘルツォーク特集2017<誕生!ヘルツォーク>”が開催される。
上映される映画は以下のとおりだ。

小人の饗宴(1969-1970年 96分)
アギーレ、神の怒り(1972年 91分)
カスパー・ハウザーの謎(1974年 109分)
シュトロツェクの不思議な旅(1976年 104分)
ノスフェラトゥ(1978年 103分)
ヴォイチェック(1979年 81分)
フィツカラルド(1981-1982年 157分)
コブラ・ヴェルデ 緑の蛇(1987年 110分)
問いかける焦土(1992年 54分)日本劇場初公開
キンスキー、わが最愛の敵(1998-1999年 95分)

このうち『ヴォイチェック』『コブラ・ヴェルデ 緑の蛇』以外は僕も観ているが、
様々な意味で狂気を孕むグレイトな映画ぱかりである。
『シュトロツェクの不思議な旅』は、
JOY DIVISIONのイアン・カーティスが首を吊る直前にテレビで観ていた映画としても知られている
(イアンがその時の自分の境遇を映画の主人公とダブらせたという説も有力)。
ドイツのプログレッシヴ・ロック・バンドのPOPOL VUHを“寵愛”し、
彼らの音楽を自分の映画で何度も使っている監督としても有名だ。

ここでは日本劇場初公開の『問いかける焦土』を紹介したい。

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『問いかける焦土』は1991年の1月に中東で勃発した湾岸戦争“関連”のドキュメンタリー映画である。
1992年9月8日にNHK教育テレビ(現・Eテレ)の番組『プライム10』で放映されたが、
本編の半分ほどの映像とヘルツォークのインタヴュー+αの44分の構成だったらしいから、
日本での完全版の公開は今回が初である。

湾岸戦争そのものというよりは“関連”のドキュメンタリーと呼びたい映画だ。
というのも、
サダム・フセイン率いるイラクがクウェートを侵攻した“pre湾岸戦争”のシーンではなく、
“ハイテク戦争の走り”で当時テレビのニュース等が報じたヴァーチャルっぽい映像もほとんどなく、
ほぼすべてが“戦後”のクウェートの“変わり果てた姿”だからである。

13章に分かれているのだが、章ごとに付けられたタイトルがイメージを広げるから記しておく。
1首都、2戦争、3戦争のあと、4拷問室の風景、5悪魔の国立公園、6子供時代、
7「炉の煙のように煙は立ち昇る」、8巡礼、9恐竜が動き始める、10紅炎(プロミネンス)、
11井戸を枯らす、12火のない生活、13「私はため息に疲れました。主よ夜を来たらせたまえ」

平時の首都の映像と、言われなければそうは見えない戦闘中のシーンは、イントロダクション。
あくまでも戦争の爪痕がメインだ。
骨が散乱する砂地、イラク側が使ったと思しき拷問道具、石油で真っ黒の国立公園、
イラク軍の暴力で失語症になった子供、言葉を失った老女などなどが映しだされるが、
映画の中心は油田で猛烈に噴き上がる“火柱”とヴァイオレントな勢いの黒煙を止める男たちの
必死の作業の場面である。

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とにかくそういう映像素材を使ってもヘルツォークの映画!に仕上がっていることに感嘆した。
ヘルツォーク自身の狂気の色と匂いで“事実”をリアルかつシャープかつ緻密に描き込み、
映像そのものの強度も申し分無く覚醒させながら観る者の思考をファックする。

炎上現場での消火作業などで使われているマシーンも含めて映像美に息を呑む。
火や油は現代社会に欠かせないものだが、
この映画の舞台では黒煙を生み出して大池や水や空を汚すネガティヴな要素ながら神々しくも映る。
すべての物事が正と邪のどちらにもになりえるようにも見せる。

もちろん馬鹿の一つ覚えみたいにお手軽なスローガンの“反米”を主張するわけではなく、
最新兵器で“イラク退治”に努めた多国籍軍はもちろんのこと、
この10年ほど後に米国とのイラク戦争で再び矢面に立つサダム・フセインも責めない。
糾弾せずに炎と黒煙と油の映像で
湾岸戦争を…いやもっと大きな視点でヒトという不可解な“種”を深く炙り出す。
まるで観ている者すべてが傍観者で、
まるで観ている者すべてが共犯者であるかのように“現場”を映し出す。

余計な説明はせずに映像そのものに語らせている映画ならではの強みを活かした作品だが、
ヘルツォーク自身がナレーションを務め、
必要最小限のコメントとともに“詩”を挿入している。
その言葉も相まってドキュメンタリーを超えた黙示録の佇まいを呈しており、
ワーグナー、シューベルト、ヴェルディ、マーラー、プロコフィエフらの曲の使用も一役買っている。
言うまでもなく音楽は適材適所での挿入で、
現場作業の音声をそのまま延々と流す場面も多いからこそ生々しい。

英語の原題は“Lessons Of Darkness”・・・暗黒の教訓、邪悪の教訓、暗愚の教訓、
ブラック・メタルのタイトルみたいじゃないか。

表現というものをあらためて考えさせられる。
オススメ。


★“ヘルツォーク特集2017<誕生!ヘルツォーク>”
東京 10月7日(土)~27日(金) 新宿K’s cinema
愛知 上映予定 名古屋シネマテーク
大阪 上映予定 シネ・ヌーヴォ

★映画『問いかける焦土』
原題:Lektionen in Finsternis
1992年/仏・英・独/カラー/デジタル/54分

©ロゴWH Werner Herzog Film high resolution

http://www.pan-dora.co.jp/wordpress/?cat=4


映画『ポルト』

メイン


STOOGESの映画も手掛けたジム・ジャームッシュが製作総指揮を務め、
1982年ブラジル出生まれのゲイブ・クリンガーが監督・脚本・製作を行なった2016年の映画。
ポルトガルのポルトを舞台に描かれる大人のラヴ・ストーリーで、
シンプルな展開の物語であるからこそ彫りが深く、
“こんな手法があるのか!”と思わされるアイデアを使っても奇をてらったように見えない佳作である。

いい感じで褪せた暗めのテイストの色合いの映像力により、
映画が始まって2秒でスクリーンの中に飲み込まれる。
35ミリ、16ミリ、スーパー8などのフィルムを用いた渋い映像色にひたすら魅せられるのだ。
シンボリックな感じで適度に街の風景を織り込み、
それがまた侘び寂びの効いたトーンで映画の場の匂いも漂ってくる。

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例によって話の大筋だけを書くが、
ストーリーも甘く痺れる。

臨時雇いの仕事を転々としている26歳の孤独なアメリカ人の男と、
考古学を学ぶ32 歳のフランス人留学生の女の物語。
ひょんな場所で男が見初めてカフェで偶然“再会”し、
二人は“一仕事”をした後に自然な形で一夜を共にし、
翌日も男は忘れられないどころか熱を帯びる一方だった。

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年下男と年上女のワン・ナイト・ラヴの物語でストレートな話の流れでありながら、
それをここまでふくらませるとは!とひっそりと驚いた。
映画は奇想天外な話で気を引くだけではないことをあらためて思うし、
他の要素も大切な“全体表現”だとあらためて思う。
“事の前”と“事の最中”と“事の後”の情景や感情をていねいに描き、
数年後の二人も見せながら時間から時間へと意識が行き来する作りで心のヒダの流れを映像にしている。

男の視点から、
女の視点から、
そして“もうひとつの視点”からといった具合に、
同じ物語が繰り返される“3部構成”もこの映画の最大の特徴だ。
いくらセリフなどがダブろうが、
見せ方でこうも印象が違ってくるのかとも思うし、
変わらないようにも見える映画のマジックである。

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「こんなにいいセックスは久々」というセリフになぞらえるわけじゃないが、
こんなにいいセックス・シーンの映画は久々だ。
ラヴシーンを含める映画はそこをどのように見せるかで映画の印象を大きく左右するし、
必要もないのにだらだらだらだらベッドシーンが長い映画は自分で自分の首を絞めているだけでしかない。

この映画のセックス・シーンも長い。
一晩に一回で終わらないほど求めあっているからだが、
にもかかわらずまったく飽きない。
情熱的で美しく、
なによりとても自然だからである。

愛があるとかにないとかよくわからない。
でも“意気投合”してからが速い。
前戯とかそっちのけで短時間で終えて再びという情緒を削ぎ落した“動物性”も、
ちょっとみすぼらしくてたどたどしい男の動きも、
慣れているっぽい女の冷めた表情もリアルである。

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たいへんエロチックだが、
観ていて実際にしている気分になるほど引き込まれる映像だ。
ほんとに性交しているように見える形で絶妙のフレームの切り取り方をしており、
シンプルで落ち着いた佇まいながら遠近を効果的に使って撮る角度も工夫し、
部屋に隠れて覗き見ているような調子で撮っている。
濃厚な陰影の映像は一般的なカジュアル・セックスの軽さとは対極で、
会ったその日ににもかかわらず二人の関係の深さを物語るほど生々しい。
カラダの交わりだけでなく精神的にも何か交感している。

「こんなの初めて!」といった具合に、
てらいのない言葉も真実味いっぱいだ。
ストレートなセックス中に限らず
この映画は妙味の効いた会話の言葉の選び方と間合いやテンポも心憎い。

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メインの二人の演技にもうならされる。

残念ながら男の方を演じたアントン・イェルチンはこの映画の公開を待たずに事故死している。
ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)に出演。
僕はオムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区』(2012年)、
その中の一つの作品『スウィート・エクソシスト』の拡大ヴァージョンの『アナーキー』(2014年)、
ハードコア・パンク・バンドのホラー映画『グリーンルーム』(2015年)でも観たが、
ほんと他界が残念である。

女の方を演じたルシー・ルーカスの演技も筆舌に尽くしがたい。
観れば観るほど味わいが口の中で広がる感じで、
コクがありビートの効いたスモーキーなウィスキーみたいに濃厚。
でも吞み口サッパリのクールな存在感をさりげなく示している。

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使われている音楽もセンスがいい。
ジョン・リー・フッカーやカナダのZACHT AUTOMAATに加え、
Emahoy Tseguéのジャズ・ピアノがやさしく随所で寄り添い、
米国のThe Space Ladyの変態ストレンジ音楽、
ハンガリーのオスカー・リーディングのヴァイオリン、
ポルトガルのレゲエのBezegolなどユニークだ。


あれこれあってここに行き着いたみたいな
終盤からラスト・シーンにかけての時間の使い方も見事としか言いようがないし、
このあたりの音に耳を澄まして注意して観ていただきたい。
“生”の証しの小さな男が聞こえてくるから。

76分にまとめ上げた手腕も見事。
グレイトな映画はどれだけ贅肉を削ぎ落とすかだと痛感する。

この映画は何度でも観たくなる。


★映画『ポルト』
2016 年|原題:PORTO|ポルトガル=フランス=アメリカ=ポーランド|カラー|ステレオ|76 分|
9月30日より、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー。
© 2016 Bando a Parte – Double Play Films - Gladys Glover – Madants
http://mermaidfilms.co.jp/porto/


映画『あさがくるまえに』

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心臓移植をテーマした2016年の劇映画。
フランス拠点に活動している80年生まれの女性カテル・キレベレ監督の長編3作目だ。
エキセントリックなことはせず、
シンプルに、静かに、ドラマチックに、ストーリーを進め、
じわじわ染み入ってくる佳作である。

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フランス北西部の港湾都市ル・アーブルでサーフィン好きな青年が交通事故で脳死状態になる。
病院を訪れた両親はまもなく臓器移植を提案されるも受け入れる精神状態になかったが、
臓器移植コーディネーターが二人に向き合う。
一方で心臓に難のある音楽家の中年女性がパリにいて、
希望者が多い中で余生が長くない自分に心臓移植を受ける資格があるのかと悩む。
お互いに時間はない。

例によってネタバレを最小限にすべく物語の大筋だけを書いてみた。

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ほとんどのシーンで特に凝った見せ方はしてないが、
こまやかな感情のひとつひとつも、ちょっとした行為のひとつひとつも、
ていねいに描き込んでいて引き込まれる。

とりわけ一人一人の人物の気持ちは観ていてひしひしと伝わってくる。
双方の葛藤がかなり感情を押さえて淡々とと言ってもいいほど落ち着いて描かれていて、
だからこそゆっくりと僕の中に深く入ってきた。
特に提供する側であるドナーの方、
といって本人は脳死状態だからその両親は観ていて僕もつらくなった。

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もちろん基本的には張りつめている映画だが、
緊迫感に覆われたシーンは限定集中させ、
それ以外はゆっくりほぼ“平常運転”なのがとてもリアルだ。
ナチュラルに人間たちを描き込み、
ギリギリの状況で湧き上がった提供する側と提供される側のふたつの家族愛を
さりげなく浮き彫りにする。

関係人物の“日常”を適宜見せるところもポイントだ。
医師関係の一人が現場から離れて唐突にメールしたりセックスを夢想するシーンも、
四六時中緊張しているわけではなくヘヴィな仕事から離れた瞬間ふとそういうこともあるという感じで、
くだけたシーンを適宜挿入することで自然な仕上がりに一役買っている。
移植を待つ音楽家の中年女性の息子たちの様子も、
かなり“普段どおり”っぽいのが逆にリアルだ。

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この映画の中で唯一ずっと息を抜いてないのはドナーの青年の両親だ。
終始顔はこわばっていて痛々しくてたまらないのだが、
それだけに映画の最後の方の二人には僕も解き放たれた気持ちになった。

心臓を提供する青年に対する臓器移植コーディネーターの行為のひとつひとつが、
ゆっくりと圧倒されるほど敬意にあふれていて胸が打たれる。
脳死状態から“解放”する直前の最期のひと時に、
真摯な態度で青年に語り掛け、
記憶を呼び覚ますような“ある音”を聞かせ、
手術後の誠実なケアにもジワッとくる。

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映像の力をあらためて思い知らされる。
序盤は生を謳歌する青年の溌剌としたまぶしい映像で、
ファンタジックに見えるほどの映像はもしかしたらこの時点で青年は“最果て”に到達していたのかもしれないとも思わせる。
そこから“暗転”とともに映像は人間たちの葛藤へと移り、
そして“再生”の緊張の時間の映像へと続く。
なだらかにストーリーが流れていって3つも4つも映画を続けて観ている気持ちにもなる。

序盤の交通事故のシーンと
臓器を移動するシーンは“スピードが求められる”場面だから速く、
他のシーンはスロー、
というか落ち着いている。
取り乱さず、諦観の境地のように、
みんな覚悟を決めている、

大半を占める微妙に冷たい質感の映像色もぴったりだ。
対照的に、昏睡状態になった青年の生前の姿をフラッシュバックする映像にはあたたかみを感じる。
いちばんの思い出をよみがえらせる甘い回想イメージのシーンと、
心臓を取り出そうとする映像へと移る生々しい現実への転換の落差にも静かに息を呑み、
どれほど移植が生々しいものかとリアルに手術シーンを淡々と映し出す。

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何より役者がみんな好演である。
映画の鍵を握る臓器移植コーディネイター役のタハール・ラヒム(『預言者』他)、
ロマン・ポランスキーの妻でもあるエマニュエル・セニエ(『エッセンシャル・キリング』他)、
歌手としても知られるアンヌ・ドルヴァル(『マイ・マザー』他)らはもちろんのこと、
無名も新人も過剰さを排してまっすぐ役の中に入り込んでいるのだ。

劇中では適宜アンビエント音楽などが使われ、
エンディングにはデイヴィッド・ボウイが“限られた時間”を歌う「Five Years」を使っている。

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英語だと心臓も心も単語は“heart”。
頭が支配するものではなく、
感情、心情、愛情といった人間らしさを司る気持も意味する。

この映画の試写会のとき、
僕の隣で観ていた20~30代と思しき女性が終盤ずっとハンカチで目を押さえながら観ていた。
青年に思い出を蘇らせるシーンから長い手術シーンを経て“heart”が新しいボディで生きるまで
ずっと泣いていた。
手術シーンはエグくて生理的に苦手な方もいるかもしれないが、
切開から取り出して縫合までをしっかり“生”で映し出しているからこそ、
いかにもの感動とは異なる“生”の深さをたたえている。

オススメ。


★映画『あさがくるまえに』
2016年/フランス=ベルギー/104分/原題:Réparer les vivants
提供:リアリーライクフィルムズ/配給:リアリーライクフィルムズ/コピアポア・フィルム
9月16日(土)より ヒューマントラスト渋谷 他 全国順次にてロードショー。
© Les Films Pelléas, Les Films du Bélier, Films Distribution / ReallyLikeFilms
www.reallylikefilms.com/asakuru


映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』

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『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』で知られる
旧ユーゴスラヴィア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身のエミール・クストリッツァが、
『マラドーナ』以来約9年ぶりに監督をした新作。
観終わった後に“お見事!”と膝を打ちたくなるグレイト!な映画だ。
映画が始まって10秒でスクリーンの中に飲み込まれ、
3分で“クストリッツァ・ワールド”から抜け出られなくなってしまう。

戦争とラヴロマンスを“クストリッツァ・ブレンド”し、
『007 スペクター』のボンドガールのモニカ・ベルッチがヒロインとなり、
監督・脚本だけでなく自分の長編映画で初めて主演を務めた奇才クストリッツァの役者ぶりにもヤられる。
多芸でもそつなく“そこそこ”に留める如才ない人とは違って体裁気にせず全力投球し、
ところどころに入るバンドでは打弦楽器のツィンバロムの演奏で盛り立てている。

毎度のことながら気持いいほど強引なパワーでポップにハジけつつもほろ苦い哀感に彩られ、
ごった煮で色んなダシが効いていて一晩でも二晩でも呑み語り明かせる映画である。
青空の下でやる闇鍋パーティみたいに具が詰まった快活作ながら、
楽しすぎた後に打ちひしがれる寂しさも味わえる。

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隣国と戦争中のとある国で、
右肩にハヤブサを乗せたコスタ(エミール・クストリッツァ)は、
戦線の兵士たちにミルクを届けるために毎日銃弾をかわしながらロバに乗って村から前線を渡っている。

村には愉快な母親と一緒に住む活発でやんちゃなミルク売りの人気っ娘ミレナがいて、
そのミルクの配達係で雇われているコスタに想いを寄せる。
ミレナは戦争が終わったら戦場から帰ってくる村の英雄の兵士の兄のために、
難民キャンプにいた美女(モニカ・ベルッチ)を“花嫁”として“スカウト”して家に住まわせる。
兄の結婚と同じ日にミレナはコスタと結婚する計画を立てるが、
コスタはその“花嫁”と出会って一目惚れしてしまう。

そうこうしているうちに戦争は休戦になって村はお祭り状態になるが、
実のところ“花嫁”は戦争終結のための多国籍軍の英国将校に追っかけられている人物で、
特殊部隊が村を襲撃。
「大切なのは何があろうと愛すること」
そのために二人の逃避行が始まる。

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架空の国の設定ながらセルビア語が使われている時点で
ヨーロッパ南東部のバルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国が舞台とほのめかしている。
代表作であり問題作にもなった『アンダーグラウンド』のようにさりげなく自身の民族性を打ち出し、
クストリッツァの“郷土愛(not 愛国心)”も見え隠れしている。
フォークランド紛争絡みで必然的に反英的にもなった前作『マラドーナ』の流れか、
“花嫁”を追う将校が多国籍軍の中の英国の人間というのも意味深で、
多国籍軍云々という設定も民族浄化中の旧ユーゴスラビアを90年代に空爆したNATO等もイメージする。
“花嫁”と結婚する予定だったのがアフガニスタンで武功を上げた英雄という設定も、
今の世界的な政治状況とダブらせているように思える。

かつて“政治的!”と叩かれて映画から“足を洗おうとした”にもかかわらず懲りないというか、
何気に挑発的な“クストリッツァ節”も健在というわけだ。
現実の国名を絡めることで何倍もイメージが広がるし、
架空の国の設定だろうがリアリズムが増して生々しくなっている。
様々な点でモザイクなバルカン半島で生活してきたクストリッツァならではで、
音楽と同じく意識が内向きじゃないからこそダイナミックなのである。

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Emir Kusturica & The NO SMOKONG BANDのメンバーであり監督の息子でもある、
ストリボール・クストリッツァが手掛けた強烈なバルカン・ミュージックが全編を彩るのも注目だ。
映画の中の村の宴などのシーンの実演奏も含めて、
一般的なバルカン音楽のイメージの快活ミュージックがナイスなタイミングでミックスされる。

その音がまた通常の映画の何倍も大きいのだが、
うるさく感じるどころかピッタリとハマっているから音楽もそのシーンを彩る背景、
いや生き物のように“共演”して自己主張している。
いわゆる曲とは一味違うプリミティヴな打楽器の音が絶妙に挿入されるところもポイントで、
人物の微妙な心理状態を浮き彫りにしている。
なにしろ音楽と共振して映画全体で緩急織り交ぜたテンポが良くて持っていかれるのだ。

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セリフの妙味の効いた映画だが、
セリフに頼ってない映画でもある。

匂ってくるほど鮮やかでアクの強い色合いの映像力も見事と言うほかないし、
生活感プンプンであるにもかかわらず非日常の景色と風景ばかりで圧倒し、
遠近の使い方にも舌を巻く。
例によってちょっとした瞬間に何が起こるかわからない油断大敵の映像展開で、
昔の映画みたいにアイテムの一つ一つを注意して見てしまうほどだディテールからも目が離せない。
いわゆる本格的な映像に加えて遊び心が転がっていて、
手作り感いっぱいのチープにこしらえた漫画ちっくで原始的な仕掛けや撮りもお楽しみだ。
とにかく頓智と粋のバランスとブレンドが絶妙なのである。

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戦争の悲惨さを伝えてもいるが、
もちろんそこはクストリッツァ、あまりセンチメンタルにはしない。

主要登場人物だけでなく出てくる全員が死と隣り合わせの生活でもあまり悲壮感がない。
村人も呑気と言えるほどの暮らしぶりで庶民の強さしぶとさがエナジーとなって放射される。
国同士のいわゆる戦争でなくても内戦などでこういう状況は今も世界中で現在進行形なわけだが、
自身の体験を踏まえているのか一種の楽観性がクストリッツァ流だ。
戦争も笑い飛ばすかのようにすべての人が楽天的で人生を謳歌し、
ハッピーなダンスと音楽を楽しんで解き放たれている。
とある人物が言った「戦争を楽しんでやがる」という言葉が色々な意味で解釈して当てはまるほどだ。
でも“宴”のあとの怖さとも言うべきか後半は、
どこぞの宗教の狂信テロリストが敵側の人間が集う結婚式にもぐりこんでくるような状態に突入していく。

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クストリッツァならではの動物てんこ盛り映画であるところも特筆したい。
ドキュメンタリーゆえにそうはいなかった前作『マラドーナ』の反動とばかりに五割り増しで、
哺乳類、鳥類、爬虫類、昆虫類、植物などなどの“あらゆる役者”が映画のスパイスになっている。
この映画におけるクストリッツァの“守護鳥”のハヤブサをはじめとして、
そういった生き物たちの絶妙の“演技”も驚きの連続だ。

人間も含めてみんな平等な“生き物賛歌”の映画にも思えるが、
そうナイーヴに言い切れないからこそ彫りの深い映画である。
豚、大蛇、羊などまさに無数の種類の生き物が無数“出演”。
序盤と終盤に“強烈な犠牲シーン”を象徴的に生々しく見せ、
その間にはずっと人間と他の生き物の共存共生を見せる構成は
偶然ではないだろう。
血を流して殺された生き物を食って血を流す戦争をする人間というオメデタイ生き物の“業”を描きながら、
人間に殺されるために生まれてきた生き物と
平穏な生き物たちと
人間の“とばっちり”で殺される生き物でスクリーンを埋める。
クストリッツァの命を救う生き物と“花嫁”の運命を決めた生き物が同じというのも偶然ではない。

僕がここでその解釈を書くと先入観を植えつけてしまうから観た方一人一人が個人で感じていただきたい。

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万歳!で映画を締めないところに、
僕はこれまでのクストリッツァ作品とは一味違うリアリティを感じる。
終盤、
自ら“演じている”だけにクストリッツァ自身が何かに対して“贖罪”しているように映るのは
深読みだろうか。
センチメンタルの断崖の端っこで飛び込むのを留まって涙をこらえているクストリッツァが目に浮かぶ。
最後にクストリッツァが石を運んでいる地は、
過去の被害と加害の彼岸、
そしてやっぱり善悪の彼岸の地に見える。

映画のタイトルに含むフレーズの“milky road”は、
クストリッツァがミルク運び人ということに引っ掛けただけでなく、
“milky way(天の川/銀河)”をもじったものではないか。
七夕の男女の物語は“アジアの神話”らしいが、
『オン・ザ・ミルキー・ロード』そのものじゃないか。

必見。


★映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』
2016年/セルビア・イギリス・アメリカ/125分
配給:ファントム・フィルム
9/15(金) TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー。
(C)2016 LOVE AND WAR LLC
http://onthemilkyroad.jp/


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プロフィール

行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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