映画『やさしい女』(デジタル・リマスター版)
2015-02-28

ドストエフスキーの短編『やさしい女 幻想的な物語』を基に、
1901年フランス生まれのロベール・ブレッソン(『スリ』『白夜』『ラルジャン』他)が
監督・脚色・脚本・台詞を手がけた1969年の映画。
主演女優のドミニク・サンダ(『暗殺の森』『1900』『ルー・サロメ/善悪の彼岸』他)の
映画デビュー作としても知られている作品で、
夫婦のすれ違いを静かに綴った“これぞ映画!”と言うべき佳作である。
日本では1986年の公開以来ほとんど上映機会がなくVHS/DVD化もされてない作品とのことだが、
今回はデジタル・リマスタリング版で深く鮮やかに蘇る上映だ。

オープニングでいきなり“最期”を見せている映画だが、
オフィシャル・サイトでもぼかされているからそこは見てのお楽しみということにさせていただく。
過去を振り返る形で映画が進み、
“再現フィルム”みたいなシーンに男の回想シーンが挟み込まれる構成だ。
本とノートを買うために“私財”を質屋に入れて金を工面する不遇な境遇の若い女と
その質屋の店頭に立つ男の物語。
一目惚れした男が女に求婚して結婚して女は男の質屋の仕事を手伝うことになったが、
二人の関係はすぐに寒々とし、
まもなく男は過剰なまでの嫉妬に憑かれて女の浮気を疑い始める。

結末は違ってもこういう夫婦は珍しくないように思う。
そもそも夫婦以前に“個”と“個”が向き合う人間関係としてこの二人は最初から崩れていた。
生活を共にする上で致命的に成り得る価値観の違いがあったとしても、
お互いを尊重し合うことは結婚の始まりの時点でなかったように見える映画だ。
一方でたとえ険悪なムードの時でもベッドの上ではお互いが快楽をむさぼっていたことになっている。
でもすべてはけっこう年下で若く美しい女と結婚しただけで満足して甘えた男の側からの回想、
しかも独りよがりでふくらんだ妄想と幻想が入り混じった回想の描写と言える。
男が把握していた範囲内で女が描かれ、
その他に彼女がどういう行動をとってきたかは知るよしもない。
まるでストーカーの如く常に女を監視していたかのような視点にも見える。
女がなぜ男と結婚したかあまり描かれていないのも
そのへんのことに関して男がわかってないからであり、
そのへんのことに関して男が気にしてないからとも読める作りである。
淡々としているからこそ飄々とした男のエゴが濃厚に炙り出されていて静謐に圧倒されていく映画なのだ。

女が要所でかけるレコードのみの音楽をはじめとして、
あらゆる意味で“空間”を設けながら無駄がない。
監督自身が考えただけに説明的な長い台詞は使わずにストーリー展開と同じくシンプルながら、
少ない言葉数の一つ一つの台詞に人物の意識が凝縮されている。
特に女の方は教養に裏打ちされた言葉がシャープで、
キリスト教的な価値観に対する批評に映るところも多い。
『ハムレット』の演劇を夫婦で鑑賞するシーンでその役者たちが舞台で発する台詞も含め、
示唆に富む言葉で映画を彩る。
夫婦以外の主な登場人物が男の回想の相手をする家政婦らしき老年女性だけという点も含めて、
様々な意味で映像の切り取り方もストイックほど無駄がない。
名作のほとんどの映画に共通することだが、
作品の本質のお茶を濁してあいまいにするかのように挿入されるダメな映画に多い無駄なシーンがまったくない。
『やさしい女』もすべてのシーンが必然で連なっている。
だからこそ人物たちの心理の流れがブレることなく凝縮してスクリーンに刻み込まれていき、
静かに息を呑むのである。
映像そのものもじわじわと心に染み込んできて味わい深い。
淡く落ち着いた色あせたトーンは夫婦関係を暗示しているかのようにも見える。
質屋で質草を扱う時のものをはじめとして手のアップも意外な見どころだし、
沈黙シーンも多いだけに表情・・・特に二人の眼差しに意識が見え隠れもしている映画だ。

男優のギイ・フランジャンは笑顔を見せるにしてもこわばっていて硬く、
飄々としているからこそ夫婦の温度をどこまでも下げる“寒い男”を見事に演じている。
ネタバレになるからここでは書かないが、
男が回想しているシーンのシチュエーションも異様としか言いようがない。
妻の浮気に死ぬほど疑心暗鬼になったくせに、
妻がどういう状態になったとしても冷静極まりなく取り乱すことはない。
無味乾燥な自己愛に溢れており、
口ゲンカの際に女が吐いた“臆病者”という言葉がふさわしい男である。
さらにドミニク・サンダの演技は突き刺す。
プライベートにおける自身の離婚まもない頃の撮影と思われるだけに、
実生活の経験を直結したように彼女のリアルな心理描写は筆舌に尽くしがたい。
ほとんどニコリともせずにいつでも張りつめている。
まるで夫に対してだけでなく全世界に対する呪詛に満ちているかのような顔つきなのだ。
男がなまぬるいクールだとしたら、
彼女はハードコアにクールを極めている。
邦題の『やさしい女』は原題『Une femme douce』を尊重したものだが、
“douce”は、
“穏やかな、温和な、柔和な、愛情のこもった、心地よい、楽しい、やわらかい、快い、甘い、
味のいい、緩やかな、なだらかな、程よい、なめらかな、心地よい、穏やかな、おとなしい“
といったニュアンスを含む言葉だという。
ぴったりだ。
『やさしい女』におけるドミニク・サンダはいわゆる“やさしい女”には見えない。
でも僕には“やさしい女”にしか見えない。
うわべだけの陳腐な結婚に殺意の照準を定めながら、
下心見え見えの計算高いやさしさなんていうのとは別の次元で佇んでいる。
45年近く前の映画ながら、
静謐な作りだからこそ映画が持ち得る奥深さと可能性に恐れおののく逸物だ。
★映画『やさしい女』(デジタル・リマスター版)
1969年/89年/フランス/カラー/ヴィスタ
配給:コピアポア・フィルム
4月4日(土)より、新宿武蔵野館他全国順次公開
http://mermaidfilms.co.jp/yasashii2015
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