映画『地獄の黙示録』 劇場公開版 <デジタル・リマスター>
2016-03-31

ベトナム戦争を扱ったフランシス・コッポラ監督・製作による79年の劇映画が再びロードショーになる。
泣く子も黙る名作なわけだが、
今回の上映は2000年代初頭に50分ほどプラスされた“特別完全版”ではなく、
エンドロール無しで余韻も“殺した”オリジナル・ヴァージョンをデジタル・リマスタリングしたものである。

ベトナム戦争の後期。
陸軍空挺士官のウィラード大尉は軍上層部に呼び出され、
元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の“処刑”指令を受ける。
米軍の意向を無視して山岳民族の部隊とともに国境を越えてカンボジアに“王国”を築いているカーツ大佐が、
米国のためだったにもかかわらずベトナムの4人の“二重スパイ”を殺したからであった。
特殊任務のため若い4人の乗組員に目的地を知らせぬままウィラード一行は大河を遡行する。
以上は、
オフィシャル・サイトに書かれている“あらすじ”をアレンジした物語のおおまかな前半部分だ。

カオスそのものの戦闘シーンや、
むごすぎるにもかかわらず見慣れて“不感症”になりそうなほどおびただしい数の屍のリアリティに、
打ちのめされる。
火炎や植物や肌や血や肉や金属や土や空や水や煙などの映像が、
サイケデリックともアシッドともストーナー・カラーとも言える色合いで神経が侵される。
音響担当者が“サウンド・デザイナー”としてクレジットされていることが象徴される音にも
目が覚めっぱなしだ。
むろんDOORSの「The End」やワーグナーの「ワルキューレの騎行」といった有名曲の挿入もハマりすぎである。
それ以上に挿入される“音楽”がプログレッシヴ&プリミティヴで強烈だし、
ヘリコプターのプロペラの音や銃撃音をはじめとする“現場の音”が胸を“撃つ”。
すべての音声が野性であり野生なのである。
テーマは重いし描き方もディープな映画だが、
基本的には人物を追い求めるストーリーで終盤以外はわかりやすくて色々とカタルシスの要素を含み、
アメリカン映画ならではのある種のエンタテイメント性も内包してはいる。
と同時に陽気なアメリカンの兵士たちが豹変していく流れが見事で、
映像色や音声でもデリケイトに表現されており、
昨今のアメリカ映画では雑に描かれがちな感情描写の彫りの深さも筆舌に尽くしがたい。

戦場は殺らねば殺られる“舞台”だから場合によってはスパイ殺しも絶対悪と言い切れない。
だがそんな大佐を処刑せよ!という“偽善”に満ちた“奇妙な指令”を遂行するために、
ベトコンに“両岸から殺してくれ!”と言わんばかりの無防備な状況の大河を小舟で進む彼ら。
ある意味“奇妙な使命感”のために死を覚悟させられたベトナム戦争全体を象徴している。
単なる反戦ものを超えて無数の意識が層を成して終盤はスピリチュアルな色合いを呈すが、
ベトナム戦争の様々なドキュメンタリー映画にも記録された米軍の無神経な行動様式も織り込まれている。
戦争/紛争の性格や要因などが種々雑多で異なるとはいえ人種などが交錯した極限状況は、
80年代から現在に至るまでの中東、アフリカ大陸北部、アフガニスタンとダブって映る。
反戦というより厭戦の空気感で覚醒される。
とにかく映像、音声、物語、演技、すべてでこの世の黙示録を塗り込める映画だ。
『Apocalypse Now』という原題はまさに今も響くフレーズであり、
残念ながら永遠に響くフレーズにも思える。
観られる環境の方はビッグ・スクリーンとビッグ・サウンドの映画館で体感するしかない。
★映画『地獄の黙示録』 劇場公開版<デジタル・リマスター>
1979年/アメリカ/147分/カラー/デジタル(デジタル・リマスター版)
4/16(土)よりシネマート新宿、4/30(土)よりシネマート心斎橋にて公開。以降全国順次公開。
提供:吉祥寺バウスシアター/配給:boid
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http://apocalypsenow2016.com/
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