なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

BURZUM『Sôl austan, Mâni vestan』

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ノルウェーのブラック・メタル・カリスマの男性プロジェクトが『Umskiptar』から1年ぶりに出した新作。
出所状態になった2010年からコンスタントにリリースを続け、
フル・アルバムとして10作目に数えられそうだ。


BURZUMの曲やアルバムには大きく分けて2パターンある。
人間全体は言うまでもなく一人の人間もひとつじゃない。
たましいは二律背反だ。
今回は人間を片っ端から殲滅するBURZUMのパブリック・イメージの激烈メタル・チューンは無し。
シンセサイザー主体と思しき淡々とした静謐な曲オンリーで、
ダブル・ベースやギターみたいな音も極々シンプルに使っているようにも聞こえる音だ。
ミニマルながらいわゆるアンビエント・ミュージックとは違い、
ほとんどがメロディアスなインスト・ナンバーである。
だがスタイルはどうでもいい。
音楽を聴く肝とは響きに宿る意識に耳を傾けることだから。
でなきゃ精魂込めて表現している人が次々と死んでしまう。

まったくブレのない意識の流れで覚醒されられるアルバムだ。
ナチへの複雑な思いを抱く点で“同志”の
後期JOY DIVISIONの曲「Atmosphere」「Heart And Soul」「Decades」あたりに近い感覚で揺らぎ、
平和の天使が不死の舞を踊る天の川の如く流れていく。
ひとつひとつの響きに覚悟を決めて殺意を超越したしめやかな桃源郷の調べに身震いがする。
おのれに向き合って掘り下げておのれの霊魂の鉱脈を探っているかのようだ。

つつましやかで愛の歌心が溢れる音だけで、
身を削って自分自身に対峙することなく“つぶやく”上っつらの善意の言葉をゆっくりと絞殺する。
メタルを毛嫌いするようなリベラルを気取る“差別主義者”は
免罪符を求めるのに必死で自分の責任を棚に上げながら正義の味方を気取るが、
これはそのすべてに対する挽歌であり葬送曲である。

ウソがない音楽だ。
差別主義者であることを隠さない正直なBURZUMは、
実はファシズムと対極の佇まいである。

いとも簡単に“ひとつ”になるのは欺瞞の宴。
世界中の人間の一人一人いらだちも憎しみも憤りも違うにもかかわらずひとつにする“集団暴力”こそ、
よっぽどファッショだ。
“身内”も含めて敵を作るほど一人一人に真正面から向き合わずに“共犯者”を求める主体性無き輩を尻目に
ますます“孤”と“個”を意識させる。

BURZUMは“単独犯”だ。
事実一人で殺った。
責任は一人で引き受ける。
事実殺人罪の刑は全うした。
その後のBURZUMの音楽は
死ぬほどしんどくても生き延びられる精神安定剤になっている。

実際人を殺している人間から生まれた表現ではある。
だから永山則夫やチャールズ・マンソンの表現と同じく、
死ぬほどやさしく、
死ぬほど穏やかで、
死ぬほどデリケイトで、
死ぬほど愛にあふれ、
死ぬほど美しい。

「(戦争中に)人間の嫌な面をたくさん見たから、優しさとか愛なんて言葉は嫌いだ」と
末期に言った『はだしのゲン』の中沢啓治さんも、
このアルバムに対して“優しさ”や“愛”という言葉を使うのは許してくれるだろう。
これこそが希望の“歌”である。


★BURZUM『Sôl austan, Mâni vestan』(BYELOBOG PRODUCTIONS )CD
紙一枚のジャケット封入の約58分11曲入り。


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コメント

初めて投稿させていただきます。いつも楽しく拝見させていただいております。

正直、BURZUMは「Hvis Lyset Tar Oss」こそが最高傑作だと思っていた人間として、出所後のグリシュナクの作風には戸惑いを覚えていました、優しすぎると。
確かに、刑期を満了し出所した身です。心身共に変化があるのは当たり前だと思うのですが、彼の持っていた陰鬱さや憎しみがここまでキレイに昇華されてしまったことに面食らってしまったのです。

けど、今作の評を読ませていただいた、ハッと気が付きました。まだ彼は孤独の内にあるんだと。まるで讃美歌が時に残酷に聴こえるように、彼の放つ美しさもまた懺悔の一つなのかと。これもまた彼が背負う業なのかと思うと、凍てついたノイズの裏側にあるアンビエントは本当に表裏一体で、到達するべくしてたどり着いた境地なんですね。

後期JOY DIVISION(というよりはイアン・カーティス)との繋がりについてもストンと落ちました。これを機に再び彼の音に触れてみたいと思います

宇井木さん、書き込みありがとうございます。
やっぱり最高傑作は『Hvis Lyset Tar Oss』あたりでしょう。ぼくも十代~二十代の頃だったら出所後のはすぐには受け入れられなかったかもしれませんが、今はああこういうことなのかもと今回書いたようなことで受け入れられます。
根本的ないわゆる“変化”はリレコーディング・アルバムで明らかですね。憎しみの類は消えてないとも思いますが、録音状態以前に別の内面が生まれた感じです。もちろん支持者・・・とまでいかなくても少なくても音楽は好きという人は世界中にたくさんいるでしょうが、やはり孤独なのかなと。
宇井木さんの分析は、ぼくの文章のさらに奥に深く進んでいて素晴らしいです。

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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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