映画『ゆるせない、逢いたい』

“デートレイプ”で関係が一変する17歳の女性と何歳か年上の男性の感情と葛藤の流れを描いた作品。
1983年埼玉県生まれの金井純一が監督・脚本を手がけた初の商業映画である。
主演は吉倉あおい。
1994年神奈川県生まれで2012年から『mina』専属モデルとして活動し、
2012年からはドラマ『悪夢ちゃん』や映画『すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん』などに出演し、
本作が初の映画主演作となる。
恋人役は柳楽優弥。
1990年東京都生まれで2004年の映画『誰も知らない』をはじめとして次々に映画出演を果たし、
2012年には蜷川幸雄演出の舞台『海辺のカフカ』で主役を演じている。
他には吉倉の母親役として朝加真由美、親友役として新木優子、警官役としてダンカンが出演している。

はつ実(吉倉あおい)は弁護士の母親(朝加真由美)と二人暮らしで、
親友のマリ(新木優子)と共に高校の陸上部に所属している。
ある日、はつ実は古紙回収の仕事をしている隆太郎(柳楽優弥)と出会い、
偶然も重なった自然な流れで付き合うようになる。
だが、とある“障害”が入って関係が途切れてしまい、
そんな中でデートレイプが起こる。

デートレイプとは
付き合っている間柄や友人関係を含む親密な間柄の人間に対いる強姦を指す。
“俺のこと好きだったらやらせろ”“付き合ってるんだったら当然だろ”と押し倒すノリだ。
婚姻関係のない間柄で起こったものを指す言葉らしいが、
“夫婦なんだからやらせろ”というケースも似たようなものだ。
相手が望まない時にもかかわらず無理やりヤることに変わりはないのだから。
ただしこの映画のケースは、
“情状酌量の余地”が多少あるにしろデートレイプという言葉のイメージ以上の“凶行”。
ほとんど“闇討ち”だ。
深手が大きいことが想像できる。

金子監督によれば、
NPO法人の“被害者加害者対話の会”を取材していたプロデューサーにその取り組みの話をされてから、
この映画が始まったという。
海外では両者が直接話をしてその後を決める方法も一般的になっているらしいが、
日本ではデートレイプの被害者と加害者と法律上直接会わないようなシステムになっているらしい。
だがこの映画では被害者と加害者が真正面から向き合って対話(≠会話)し、
そこから未来を見る可能性を探る。

デートレイプで一変する映画だが、
デートレイプを語る映画ではない。
隠蔽されがちなテーマを取り上げて、
以降の流れがどう動くのかの一例を見せる映画でもある。
でもいちばんの見どころは
娘と母親の、
女と男の、
揺れ動く強靭な“愛のかたち”である。

“いかにもの展開”に映画が始まってしばらくは漫然と見ていたが、
だからこそ中盤以降の流れの張りつめた空気感と息を衝けないほどの静かなダイナミズムに飲み込まれた。
もっとカットしてもいい場面やセリフもあったかもしれないが、
沈黙の時間を効果的に使ってもいるし、
あいまいさを残していることで作品の深みと広がりが増したところも多い。
たとえば
はつ実が“初めて”だった可能性もあるが、
そういうデリケイトな部分を見る方の想像力にゆだねた作りも特筆すべきだろう。
はつ実のショックの様子を見れば推して知るべしである。
当初の脚本では時間を割いていたという隆太郎の不幸な生い立ちを綴るシーンを縮めたのも、
全体が引き締まっているから正解である。
セリフでの意志表示や過度の説明を加えなくても、
俳優たちのストロングな演技力ですべて持っていけているからだ

まず母親役の朝加真由美が強烈だ。
一人娘を危険にさらさないようにと思うあまりの行動とはいえ、
あまり子供の話を聞かない態度に本気で憎らしくなった。
むろん見ている人間にそういう気持ちを起こさせるということは演技が生々しいことの証明であり、
“抜け”があって心配事が現実になってしまったがゆえの後悔と憤りが入り混じる非情の行動も
リアルに迫ってくる。
恋人役の柳楽優弥も好演している。
ぶっきらぼうで朴訥なキャラが、
事を起こした後に彼女と再会したシーンでは妙に情けなく映る。

なにより吉倉あおいの演技がグレイトである。
完全に“はつ実”になり切っている。
独善的にもなる母親との対峙、
再会した隆太郎との対峙、
愛憎が殺し合うそのいずれのシーンも気合いがハンパじゃない。
激情の炸裂と毅然とした突き放し。
「お母さんみたいな人間にだけはなりたくない」
「私、怒ってなんかないよ。でも・・・」
そんなセリフのひとつひとつに命が震えていることが声の響きでわかる。

陸上競技と同じく前を向いて進むアティテュードで逃げずに一人一人の人間に真正面から向き合う、
はつ実のまっすぐな心は純粋さを失わないある種のティーンエイジャーそのものだ。
一方、聡明な決断を自分の言葉でかつての恋人に告げるシーンでは、
はつ実がこの映画の中で一番の大人だということも確信できる。
再会した時の隆太郎との約束、
少なからぬ未練の気持ちが身体を加速させた最後の最後の行動。
吉倉の思いの強さに見ていてこっちも目が潤んでしまった。
ぼくが参加した試写会では上映が終了してからスクリーンの前に吉倉が現れ、
映画のことを思い出したのか涙ぐみながら作品に寄せる思いの強さを目の前で語ってくれたのだが、
その様子を見ても彼女の本気さがダイレクトに伝わってきて、
またしても目が潤んでしまった。

映画のタイトルが“会いたい”ではなく“逢いたい”というところにも制作者の思いが感じられる。
“逢”は恋人関係によく使う漢字だが、
“巡りあい”のニュアンスも含まれる。
二人の・・・いや、はつ実の複雑な感情が端的に表わされている。
純愛と悲恋の“まぐわい”があまりにまぶしい。
★映画『ゆるせない、逢いたい』
2013年/日本/カラー/ビスタサイズ/107分
11月16日(土)より ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館 にて全国ロードショー。
©S・D・P/2013「ゆるせない、逢いたい」
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