CARCASS at 渋谷クアトロ 5月7日
2014-05-09

フェス参加ではないライヴとしてはジャスト20年ぶりになる英国のCARCASSの日本ツアー最終日。
一般のメディアからは“棄民”扱いのバンドだが、
そんなもんハナっから“I don’t care”なお客さんたちは東京公演2日ともソールドアウトにして気合い満々である。
ドリンク代を含めれば7000円前後のライヴだが、
トータル110分。
“払ってもらったお金の分はたんまりfuckしてやるわ”ってなCARCASSも気合い満々のグレイトすぎるライヴだった。
定刻の19時スタートってのでまずヤられた。
大した事情がないにもかかわらず開演時間を大幅に遅れても出てきて涼しい顔をしているミュージシャンは、
だらだらした驕りと甘えでしかないから“ファック・ユー”なのだが、
CARCASSは違う。
こういうところにストイックな不変の根が表われるものである。
すべては受け手と自己表現に対する誠意だ。
そう、CARCASSは音に甘えがない。
ウソがない。
今のCARCASSの音は確信にも満ちている。
そんなことを体感して始めから終わりまでカラダを動かされっぱなしだった。
「1985」がオープニングで流されて「Buried Dreams」と続いた序盤に表われていたように、
4作目の『Heartwork』(93年)と最新6作目の『Surgical Steel』(2013年)が中心のセットリストだった。
でも全アルバムから披露し、
デビュー作『Reek Of Putrefaction』(88年)からは「Genital Grinder」「Pyosisified (Rotten To the Gore)」、
セカンドの『Symphonies Of Sickness』(89年)からは「Reek Of Putrefaction」「Exhume To Consume」、
サードの『Necroticism – Descanting The Insalubrious』(91年)からは
「Incarnated Solvent Abuse」「Corporal Jigsore Quandary」をやった。
だがセットリスト云々以前に、
お休み期間があったにしろ結成してからの30年を凝縮濃縮したパフォーマンスだったのである。
前述の初来日公演の時はセカンド・ギタリストがヘルパーということを含めバンドの状態が思わしくなかったが、
バンドとしてのCARCASSの現況は最高のケミストリーに裏打ちされている。
ちまちました内向き指向を打ちのめす圧倒的かつデリケイトなダイナミズムに打ちのめされた。
まずダニエル・ワイルディング(ds)がいい味を出していた。
再編後のCARCASSのライヴでは
しばらくARCH ENEMYのダニエル・アーランドソンがドラムを叩いていたが、
ルックスのバランスだけを見てもベストとは思えなかった。
CARCASSのドラマーは非長髪がベターだし、
CARCASS加入直前にはドイツのHEAVEN SHALL BURNで叩いていたとはいえ、
英国生まれでビルやジェフの息子と言える歳の差も奏功してドラムだけでなく二人のケツも叩く。
オリジナル・ドラマーのケン・オーウェンよりも適度にタイトで現行メタル・コア系の彼のドラミングがあってこそ、
CARCASSがネクスト・レベルに進めたと再認識した。
昨年のライヴからCARCASSで弾き始めたベン・アッシュも存在感抜群である。
ビル・スティアー(g、vo)の弟というか甥に見えるブロンド・ヘアーの細身のルックスで、
ステージを見て一瞬どっちがどっちか判別つかなかった。
ビル以上に長身でブロンドを振り乱すステージ・アクションをはじめとしてステージ映えするし、
シャープな音色でリフは硬くギター・ソロもけっこうまかされていた。
そんなベンとのギター・ハーモニーを大切にしながらリードしていた
オリジナル・ギタリストのビルがクールだったことは言うまでもない。
自身がフロントに立ったFIREBIRDなどでの活動を経験を経て、
エクストリーム・メタルへのブルースのブレンドで感情表現五割増しのギターを弾き出し、
以前の末期CARCASSでは封印していた呪詛すら感じさせる“サイド・ヴォーカル”でも存在感を放っていた。
単なるデス・ヴォイスを超えて“デス・ブルース”と呼びたくなる声を吐き続けた
ジェフ・ウォーカー(vo、b)には目頭が熱くなった。
アメリカのデス・メタル・バンドに多い
ホラー映画風味の“ブッ殺せ!”テイスト(それはそれで痛快だが)とは一味もふた味も違う、
苦渋と苦汁に彩られた憎悪と嫌悪の二重奏がナマで聴けたからである。
音楽面ももちろんのことだが、
“ロックンロール”はプレイだけでなくヴィジュアルも大切だ。
この晩ぼくはCARCASSにロックンロールを感じた。
その肝がジェフである。
ブロンド長髪スリム長身ギタリストのビルとベンにはさまれた、
黒長髪+髭の中肉中背のジェフ。
MOTORHEADのレミー・キルミスターも思い出したが、
髪の状態と背丈を考慮すれば
“レミー・キルミスター meets ブレイン・カートライト(NASHVILLE PUSSY他)”と言うべきロックな漢である。
臭ってくる佇まいがロックンロール、
いやCARCASSの隠れ名曲のタイトルになぞらえれば“rot'n'roll”だったのである。
CRASSの映画が日本公開されていて東京以外の公開も続々と決まっているタイミングだから書くと、
CRASSが始めた“アナーコ・パンク学校”の正直な落ちこぼれとして、
リー・ドリアンとともにぼくが共鳴できるのがジェフ・ウォーカーだ。
CONFLICTと同じくCARCASSはCRASSがやめてしまったことを続けている。
CRASSのラスト・アルバム『Yes, Sir I Will』(84年)の“次”をずっとCARCASSはやっている。
この晩のステージでも意味深な映像を映しながらライヴをやったところにCRASSからの影響が感じられ、
まさにCRASSの屍(carcass)を踏み越えてCARACASSはやっている。
CARCASS初来日の時は、
メジャーなフィールドに食い込んでいた当時のCARCASSの立ち位置に対して
素直に受け入れがたい居心地の悪さを覚えていたジェフ。
その時のインタヴュー中もアンチ・メジャー・システムが身上のCRASSのTシャツ着用の自分に対し、
英国人らしい皮肉全開で終始自分を「カッコつけ」「ポーザー」と言う自嘲と自虐を繰り返していた。
葛藤と迷いはその時のステージから感じられた。
だが今のジェフ・ウォーカーは自嘲や自虐が自信になっている。
ステージ上でのお茶目でユーモラスで不恰好なロックンローラー・アティテュードに、
大切なものをキープしつつ吹っ切れて突き抜けたポジティヴなヴァイブレイションを見た。
アナーコ(≒アナーキスト)・パンクとエクストリーム・メタルとロックンロールのスピリットの
奇跡的な融合を目の当たりにした。
CARCASS結成時の80年代半ばのメタルとパンクとハードコアのアマルガムが彩った時代の英国の音を、
メロディアスにモダン・アップデートしたなサウンドとともに放射されていた。
アンコールの最後の曲は「Heartwork」だったが、
世間だけでなくCARCASS自身からも過小評価されている一時解散前の96年発表作『SWANSONG』
(↑の画像のジャケットを手がけたのはCRASSのジー・ヴァウチャー)
からこの晩唯一やった曲で、
実質的に本編の締めだった曲のタイトルのフレーズは今ますます輝きを増している。
Keep on Rotting in the Free World
死ぬほど無責任な人間だらけでfuck off and die、
ANAL CUNTのアルバム・タイトルになぞえらえればEveryone should be killed、
そんな“Free World”を笑い飛ばす感動的なライヴだった。
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コメント
無題
いちいちくだんねー事を突っ込むな、暇人のクソヤロー
>CARCASSのドラマーは非長髪がベターだし、
馬鹿じゃねーの(笑)。
意味不明だな。
馬鹿じゃねーの(笑)。
意味不明だな。
会場に行った気持ちになりましたっ(笑)
さぞ、グレイトだったんでしょう\(^o^)/
DVDに期待したいです。。。
さぞ、グレイトだったんでしょう\(^o^)/
DVDに期待したいです。。。
みなさん、書き込みありがとうございました。
自分が放つ音にも言葉にも誠実で責任感がありヴィジュアルのバランスもいい4人ですから、DVDでもCDでも今のメンバーのライヴ作品にも期待したいですね。
自分が放つ音にも言葉にも誠実で責任感がありヴィジュアルのバランスもいい4人ですから、DVDでもCDでも今のメンバーのライヴ作品にも期待したいですね。
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払ってないくせに。