なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

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(c)Yamamoto Family


2011年に日本では初めてユネスコの“世界記憶遺産”に登録された、
“炭坑絵師”山本作兵衛のドキュメンタリー映画。
斉藤由貴がナレーションを行ない、
小室等らが音楽を担当している。
今回は没後30年を記念した上映である。


山本作兵衛は1892年(明治25年)福岡県生まれ。
7~8歳ごろから炭鉱内で兄と共に父親らを手伝って家計を支え、
15歳から本格的な炭鉱生活を始め、
閉山で1955年(昭和30年)に64歳で退職するまでの約50年もの間に21を超える筑豊の炭鉱を移り住む。
炭鉱夫を引退して夜景宿直員になって考える時間ができたからか
太平洋戦争中にマラッカ海峡の海戦で戦死した長男のことが頭を離れなくなり、
日記の余白部分やチラシの裏に描き始め、
1958年(昭和33年)から画用紙に炭鉱生活を描き始める。
1984年(昭和59)年に92歳で亡くなる直前ぐらいまで作兵衛は無数の絵を描き続けた。


TBS系列である福岡県のRKB毎日放送の報道部副部長・大村由紀子がプロデュースと構成を行なっている。
放送局で培ったいい意味での客観性と普遍性を踏まえて
コンパクトにポイントを凝縮した端的なドキュメンタリーの作りは、
映画『CRASS:ゼア・イズ・ノー・オーソリティ・バット・ユアセルフ』にも通じる。

サブ1:世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭坑記録画
(c)Yamamoto Family

昔のニュース・フィルムなども適宜挿入し、
描いているシーンも含む生前の作兵衛に加えて関係者らが語るシーンを盛り込まれている。
作兵衛の親族の方々、
作兵衛の絵を世に出す手助けをした方々、
作兵衛と同じ頃に炭鉱では働いた女性、
作兵衛の展覧会で絵を見た中高生と思しき女性など、
登場する方々すべてのコメントも興味深く誠意がいっぱいだ。

目下国内唯一になっている北海道・釧路の坑内掘り炭鉱の様子、
その人たちが赴いて協力しているベトナムの炭鉱の様子も織り込み、
現在進行形の視点でも描かれている。
ベトナムの炭鉱夫たちが山本の画集を見せて感想を語ってもらうシーンも興味深い。
働く人を時代も国境も越えて作兵衛は結びつけた。

むろんふんだんに使われた作兵衛の絵がこの映画を司る。
でかいスクリーンに広がる作兵衛の絵そのもののエナジーが映画をリードする。
基本的に坑内は暗いから色に関してはほとんどを想像で描いたようだが、
無限のイマジネーションによる鮮やかな彩色で絵に命を吹き込んだ。
侘び寂びの効いた色合いだからこそスクリーン映えする。
肉筆ならではの線の太さは作兵衛の胆力の表われであり、
呼吸が聞こえるほどの生命感と生活感があふれる絵心に圧倒される。

サブ3
(c)Yamamoto Family

作兵衛が主に描いていたのは明治から大正へ昭和初期の時代の炭鉱の日々である。
“本格的”に描き始めたのが1958年(昭和33年)だからリアル・タイムのことではない。
最も脳裏に焼きつた時代のことを思い出して描いていたのだ。


作兵衛は猛烈な“記憶魔”だった。
苦しかったことも楽しかったことも争いも思い出して描いた。
仕事で使う道具なども緻密に描かれている。
何より現場の空気感までもが紙の隅々から匂い立つほどに描き込まれている。
観察眼と洞察力に舌を巻くしかない。

作兵衛は猛烈な“メモ魔”でもあった。
ノートなどだけでなくあらゆる物に文字を書いた。
絵を描いてなかった時代も日記等の形で文章は昔からリアル・タイムで書いていた。
もともと何らかの形で世に出すことも考えていたらしいが、
「恥をさらす気か?」という意見が出てかなり焼却してしまったという。
それでもまだ膨大な記録が残っている。

作兵衛は言語感覚にも長けていた。
炭坑労働の際に歌われていた作業唄(労働唄)“ゴットン節”の歌詞を絵に描き添えていたことも特筆すべきで、
その両方が溶け合って醸し出す珍妙な人間味がたまらない。
酒豪であることは絵であまり表現されてないかもしれないが、
そういったことがうかがえる豪傑なキャラはどの絵からもあふれている。

サブ2
(c)Yamamoto Family

作兵衛は照れ屋でさりげなくフェミニストでもあった。
女性の乳房を描くことには抵抗があったという。

夫と従事するパターンがほとんどだったようだが、
女性も多数炭鉱の中にもぐって働いた。
「尻の穴はどちらも一つで“平等”」ということだったらしい。
何しろ坑内は猛烈に暑いから身に着ける布は一枚でも少なくしたい。
男性はフンドシ一丁、
女性も腰巻一枚まとっただけで命懸けの仕事をした。

坑内では働いてなかったそうだが、作兵衛の奥さんも選炭作業をしていたという。
本人曰く若い頃は「青春のない」生活を送っていたそうだが、
家族には恵まれていた。
炭鉱の絵を描き始めたのも子供や孫などに記録を残すことも大きな動機だった。
映画には作兵衛の子供や孫なども登場して“坑道のミッシング・リンク”を結んでもいるから、
この作品はトータルで家族を描いた作品とも言える。


個人的には日曜祭日も働く肉体労働者だった父のことを思い出した。
真っ黒になりながら黙々とおのれの仕事に取り組む姿は美しかった。
ぼくの中にも確実にブルーカラーの血が流れている。

サブ6:絵を描く山本作兵衛
(c)RKB毎日放送

これはまさにリアル労働者階級の表現である。
労働者というよりは労務者という言葉が似合う肉体労働者の美しさを知る。
“働かないで生きる方法”みたいなのも一部で流行りみたいだが、
現実問題、自分の子供や親の扶養責任を考えたら働かないと死ぬだけだ。
むろん過剰労働が最高と言う気はない。
でも“労働の尊さ”や“人と人との生活の喜び”といったプリミティヴなことを考えさせられる。
作兵衛と同時代に炭鉱労働者に従事した方の言葉を借りれば、
「貧乏が一番の力になっていた」。
ハングリーが力になるのは当時の筑豊炭鉱の話だけでなく普遍的なことだ。

暗闇に光を灯した近代日本の歴史の大切な記録でもある。
時代の趨勢で少なくても今の日本での石炭のポジションが微妙だけに、
石油や原発や地球温暖化との間で生き延びる炭鉱の生命力と黄昏も滲む。
だがこの映画は“鎮魂歌”を超えて未来を見ている。

英国のポスト・パンク・バンドであるGANG OF FOURの曲「Not Great Men」の歌詞じゃないが、
歴史は偉人が作るわけではない。
切なくも力強いドキュメンタリーである。


★映画『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』
2013年/日本/HD/16:9/72分
7月5日(土)より、東京・ポレポレ東中野にてロードショー。
ほか全国順次公開。
http://rkb.jp/koudou_no_kioku/


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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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