映画『荒野の千鳥足』
2014-08-24

後に暴力的な話題作『ランボー』(1982年)を手がけたテッド・コッチェフが監督というのも納得のダイナミズムで、
オーストラリアを舞台にした1971年の“ビール浸け映画”。
目下のところ限られた地域での上映ながら日本初公開されたことを祝福したい、
時代性も地域性も突き抜けたカオティックな作品である。
もうオープニングの広大な荒野の映像だけで殺られる飲み込まれる。
映画全体のノリもひっくるめて、
まさにストーナー・ロック/デザート(desert)ロックの匂いと色合いとブッ飛び方ではないか。
なにしろ荒野のシーンだけでなく全編薄っすらとビール色に赤茶けている。
その色だけでもイける。
それこそ危険ドラッグの百万倍効いて誰の迷惑にもならずに解き放たれるのだ。
“酒焼けした声”というフレーズもあるが、
この映画は骨の髄まで“ビール焼け”している。
ビール浴びながら観ると格別なのは間違いないが、
ビールを飲めない方でも観るとビール味に染め上げられて覚醒して酔っぱらう恐ろしい怪作だ。

見わたす限りほとんど何も見えない荒野の一軒家みたいな小さな小学校に勤務する若き男性教師が主人公。
年末年始のクリスマス休暇を利用して恋人に会うために大都市シドニーに帰郷する途中で
田舎町に一泊したことにより“脱線”し、
ビールが取り持つ中て次々と数奇な体験をする物語である。
底無しの“ビール接待”をはじめとして次々と出会う男たちの過剰なもてなしを受け、
教師はいつのまにか男性ホルモン分泌しっぱなしの展開へと突き進む。
コインの裏表を当てる賭博や
オーストラリアならではのカンガルー狩りにも嬉々として興じる。
教師の意識は千鳥足で加速するが、
しらふになって我に返ると“底をついていた”自分に気づく。

まず主演男性教師(ゲーリー・ボンド([1940~1995年])の赤褐色の顔がたまらない。
笑顔にしろなんにしろキメているかのような顔であり、
心配性なくせにノリが良く、
クールに見せて喜怒哀楽がはっきりしたナチュラル・ガイ。
教師という立場の奥に封印されていた自然児の本能が炸裂している。
遠近を絶妙に組み合わせたスピード感も最高の映像力もグレイトで、
適度にアップを多用して人物の表情をしっかり捕えている点も特筆したい。
怪しげで妖しげな音楽も映像の酩酊感を高めていて映画自体のテンポもいい。
車で飛ばすシーンもたっぷりだが、
デリケイトな心情表現の映像を織り込んでも疾走感がゆっくりとキープされているのは、
やはり作品自体に鼓動みたいなリズムのビートが鳴っているからである。
クレイジー極まりないし行動は馬鹿馬鹿しいが、
味わい深くて子供っぽくない。
オシャレで中途半端な馬鹿騒ぎとも違ってオツムの針が振り切れている。
いわば酒に飲まれてしまうのでなく、
ビールの飲み方が身体に染みついている男たちばかりで、
ある意味、大人のたしなみをわかっている連中なのだ。

男性教師がビールを流し込みながら
“人生=ギャンブル”な“肉食獣ライフ”の外道を千鳥足で進むストーリーである。
気分が良くなるために何をするか。
エキサイトするために何をするか。
生き残るために何をするか。
自分を抑え込むのはもうゴメンなんだよ。
退屈からの解放を一般的な社会システムから離れて原始の方法で実践するための肝がこの映画では、
ビールと賭博と狩りであった。
ほとんど無法だからこそ個々の助け合いが理想的な“アナーキー・コミュニティ”の基本であることもあらためて知る。
と同時に弱肉強食と適者生存も裏筋に彫り込まれている映画だ。
カンガルー狩りのシーンは生々しくデス・メタリックな残虐性も帯びているが、
映画の中で注釈コーナーを設けるなどかなり気を使っており、
動物愛護団体などからの抗議につぶされないように上手く仕上げられている
いくらひと気のない土地をブッ飛ばすとはいえ酔っ払い運転と思しきシーンもあり、
“良い子はマネしちゃいけません”って言っておきたい。
とにかくムチャクチャな映画なのだ。
ギラギラしている。

ある意味オトコ的な欲望に貫かれている映画でもある。
むろんセックスも欠かせないし、
アクセントになる女性も登場するが、
他のシーンより女関係の描き方が控えめなのもポイント。
主人公の男性教師が伝統的なオトコ価値観に浸からず、
“セックスは食うのと同じ”とのたまう他の登場人物とは違う男性像が描き出されているところも見逃せない。
要は“飲む、打つ、買う”というより“飲む、打つ、狩り”なのだ。
全編躁状態のハイになりっぱなしの映画である。
けどドラッグ使用のシーンはないように思う。
そんなもんいらない。
ビールこそがこの世のキング!である。
サッポロビールの昔のCMじゃないが、
男は黙ってビール!なのである。
いつなんどきでも
“とにかく飲もう”“とりあえず飲もう”“話はそれからだ”“行動はそれからだ”
ってな調子なのだ。

何が言いたい映画かって?
そんなもんない。
けど映画でも何でも結論を見せびらかさないものほど底無しに深いもんだろ。
自意識過剰な良識や正義という名のエゴなんかあっちいけ!とばかりに人間の本能で飛ばす。
家族ものの映画/テレビ番組・ドラマによくある“筋書き通りの感動”や、
ドキュメンタリー映画によくある自分を棚に上げながら他者を糾弾する頭デッカチで“外ヅラのいい感動”から、
百万光年かけ離れた熱狂の空間に飛んでトリップしている。
そんな感じで一見ためになることを何も言ってないナンセンスな泥酔映画ではある。
だがメッセージがゼロ以下のようで人生訓をビール臭の中からたんまりと匂わせている。
アナーキーな息吹が映画の毛穴から熱く語る。
どーでもいい呑みの席から大切なことを吸引するみたいなもんである。
サイテーな自分を謳い、
サイテーな自分を嗤う。
だからこそ“”恐怖の中で目覚めて(wake in fright)”おのれ自身に向き合える。
“hospitality(親切にもてなすこと、歓待、厚遇)”がテーマの一つだろう。
単に他人を利用したいだけの見返りを求めたり計算高いやつでなく、
“下心”抜きでエクストリームに“おもてなし”すること。
そこから素敵な人間関係が始まる。
なんもかも馬鹿馬鹿しくなったらこの映画を観るといい。
大スイセン。
★映画『荒野の千鳥足』
1971年/オーストラリア・アメリカ合作映画/109分/ビスタサイズ/原題:WAKE IN FRIGHT/R-15指定。
9月27日(土)、新宿シネマカリテほかにてレイトショー。
© 2012 Wake In Fright Trust. All Rights Reserved.
https://twitter.com/chidoriashi_jp
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コメント
Re: タイトルなし
ノッシさん、書き込みありがとうございます。
どちらの映画も、ほんとオススメです。
躁鬱対照的ながらカルトとも言える映画で観たらハイ&ロウになること必至で強烈です。
どちらの映画も、ほんとオススメです。
躁鬱対照的ながらカルトとも言える映画で観たらハイ&ロウになること必至で強烈です。
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来月やっとDVD化されるとの事で凄く楽しみです。
同時にイギリスの「スカム」もDVD化という事で、楽しみ2倍で待ち遠しいです。