映画『フィルムエイジ:ザ・ストーリー・オブ・ディセンデンツ/オール』
2014-11-17

78年に南カリフォルニアで結成されたポップ・パンク・ロックの“大御所”DESCENDENTSと、
“種違いの双子の兄弟バンド”と言えるALLの映画。
DESCENDENTSの87年のライヴ盤『Liveage!』に対するオマージュみたいなタイトルにふさわしい、
音楽ドキュメンタリーの佳作である。
大ざっぱに言えば
マイロ・オーカーマン(vo)がシンガーの時はDESCENDENTS、
諸般の都合でマイロが離脱していて他のシンガーの時はALLとして活動しているバンドである。
ずっとメンバーなのは
83~85年のDESCENDENTS 休止中はBLACK FLAGのメンバーだったビル・スティーヴンソン(ds)のみだが、
87年以降はギタリストもベーシストも不動だ。
DESCENDENTSもALLも、
あまりツー・ビートで飛ばさない90年代以降のポップ・パンクに絶大な影響を与えたバンドである。
音も歌詞もポップすぎるから“伝統を重んじる”パンク/ハードコア・マニアには冷遇されてきたバンドでもある。
と同時にポップでありながら簡単にはマネできないディープなサウンドとソングライティングゆえに
ポップ・パンク/メロディック・パンク・ブームに沸いた90年代もブレイクには至らなかったバンドでもある。
オリジネイターゆえの不遇なポジションで自分たちが影響を与えたバンドの前座を進んでやり、
シンガーが違うだけにもかかわらずALLのライヴでは観客からはDESCENDENTSを求められた。
けどそんなの関係なく苦汁をハジけ飛ばす“中年ポップ・パンクス”として活動を続ける、
DESCENDENTS/ALLの“人生の半ばまで”を丁寧に描いていく。

ライヴをはじめとする懐かしの映像や写真を随時挿入して適度にアニメも盛り込みつつ、
関係者の発言で進めていく音楽ドキュメンタリー映画のオードックスな作りだ。
前述した中核メンバーのビル・スティーヴンソンとマイロ・オーカーマンの他、
86年までのDESCENDENTSを支えたトニー・ロンバードと極初期メンバーのデイヴ・ノルティ(LAST)、
87年以降DESCENDENTS/ALLを支える弦楽器隊のスティーヴン・エガートンとカール・アルヴァレズ、
ALLの歴代シンガーのデイヴ・スモーリー(元DYS、DAG NASTY)と
スコット・レイノルズ(GOODBYE HARRY他)とチャド・プライス(DRAG THE RIVER)も率直に語る。
後期SCREAM時代に“同じシーン”で活動した一方でメインストリーム・シーンもよくわかっているだけに
幅広い視点で的確にポイントを突く発言をするデイヴ・グロール(FOO FIGHTERS、元NIRVANA)も要所で締める。
DESCENDENTSの初期のアルバムをリリースしたレーベル主宰者のマイク・ワット(MINUTEMEN、STOOGES)や、
キース・モリス、チャック・ドゥコウスキ―、キラ・ロゼラーの元BLACK FLAG勢の話も面白い。
さらにブレット・ガーヴィッツ(BAD RELIGION)とファット・マイク(NOFX)といった
復活後の90年代と2000年代のDESCENDENTSのアルバムをリリースしたレーベルのオーナー、
MUFFS、CHEMICAL PEOPLE、LAGWAGON、FACE TO FACE、BLINK-182、MxPx、
LESS THAN JAKE、RISE AGAINSTのメンバーらの言葉もクールに映画を盛り立てている。
同じくDESCENDENTS からの影響を公言しているGREEN DAYこそ登場しないが、
いわば80年代以降のアメリカン・ポップ/メロディック・パンクの深い本質が解き明かされる映画でもあるのだ。
人間関係の適度な距離感とさりげなく厚い絆に裏打ちされた米国の強靭さを見て取ることも可能だろう。
といった登場人物が象徴するように内容盛りだくさんの映画だが、
ネタだらけの映画にもかかわらずスッキリまとめられており、
DESCENDENTS/ALLの音楽と同じく映画全体のテンポが抜群だからどんどん持っていかれる。

“ヴィジュアル系パンク”ではないし
革ジャン・パンクでもないのは80年代以降の大半のUSパンク/ハードコア・バンドと同じだが、
スケボーに代表されるいわゆるストリート・カルチャーと連動したバンドとも一線を画してきたのが
DESCENDENTS/ALLのポイントである。
何よりDESCENDENTSはパンクのイメージをくつがえす意味でパンク!な“オタク・パンク”の元祖なのだ。
“メガネ・パンクス”のシンガーのマイロ・オーカーマンがその象徴で
ALLの歴代シンガーたちが逆立ちしても出せないヲタな“カリスマ性”十分のフロントマンなのだが、
リーダーのビル・スティーヴンソンも十分に真正のヲタだったことも
釣りに呆けていたDESCENDENTS結成の頃の堂々たるヴィジュアルを見れば明らかである。
70年代末の南カリフォルニアの多くのパンクと同じく海に縁のあるバンドだが、
同じくビーチを根城にしていた暴力的ハードコア・パンクスみたいなサーフィン野郎ってわけではなく、
DESCENDENTSと切っても切れない趣味は釣りである。
多少たしなむメンバーもいるだろうが、
少なくても結成してからしばらくは“ハイになるためにヤるブツ”もアルコールとかじゃなくコーヒー。
しかも結成まもない80年前後は今ほど手軽にあちこちでコーヒーが飲める状況ではなかったから、
インスタント・コーヒーの粉を山ほどカップに入れてお湯を注いだコーヒーでキメてプレイしていたという、
馬鹿馬鹿しいエピソードもDESCENDENTSらしい。
んなもんだからDESCENDENTSの歌は女の子と食い物といった具合に男の子/人間の欲望に忠実だ。
“Fuck レーガン大統領!”みたいなポリティカル・ナンバーや社会的な歌は彼らにとってリアルではなかった。
けど“どや顔”で得意げに政治ソングをやっている“アーチスト”気取りのバンドの百万倍正直だ。
かといって悲惨な世界情勢に対して無関心ではないことはマイロが科学者を志した動機に表れている。
“不良自慢”だの“不幸自慢”だの“人助け自慢”だのの類でファンをゲットする要領のいいバンドでもないから、
人目を引くスキャンダラスな話題はあまりない。

だが映画の後半に“最期を覚悟”させるDESCENDENTS/ALL史上最大の危機が明かされる。
けどそこも悲壮感控えめでDESCENDENTS/ALLの音楽と同じくさらりと突き抜けるのがこの映画だ。
ビル・スティーヴンソンが重い口を開いて親の話をするシーンを挿入したところも特筆したい。
映画『極悪レミー』でも明らかなように、
親との関係を黙殺せずにしっかり描き込んでこそドキュメンタリー映画も生々しさを増すのである。
アメリカのバンドの多くに言えることだが、
馬鹿やっているように見えてイイ意味で大人だ。
個人レベルでも自主独立が基本のアメリカで生き抜く人間ならではの様々な意味での自己責任ゆえのことである。
ドラマーがリーダーのバンド特有の緻密な作りの音楽性の秘密も炙り出される。
妥協しない音楽姿勢のビル・スティーヴンソンがプロデューサーとしても活躍していくのもうなずけるし、
ポップといってもディープでパンクのエネルギーとロックのダイナミズムに裏打ちされている。
メンバー全員演奏は達者だし、
どのシンガーも芝居がかったヴォーカル・スタイルでもない。
そういったところがパンクじゃない!と言う輩もいるのかもしれないが、
パンクかどうか以前に結局音楽そのものがグレイトか否かでしかない。
表現に対する情熱こそがすべてだ。

二十代前半まで僕もそうだったから明るく映るポップな音楽を素直に受け入れない人の気持ちもわかるが、
シリアスを気取る“反逆バンド”も屁をこく“普通”の人間ってことにも気づかされる人間味を感じる映画だ。
“普通”の人間にもドラマはある。
“普通”のバンドにもドラマはある。
もしかしたらありきたりかもしれない人でも人生はみな深い。
そんなこともさりげなくほのめかしてくれる。
DESCENDENTS/ALLの歌がそうであるように。
★映画『フィルムエイジ:ザ・ストーリー・オブ・ディセンデンツ/オール』
2013年|90分|アメリカ|英語|ビスタ|BD上映|©2013 FILMAGE MOVIE, LLC.
12月13日(土)~1月9日(金)渋谷HUMAXシネマでレイトショーの他、
全国順次公開。
http://filmagejapan.com/
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://hardasarock.blog54.fc2.com/tb.php/1370-6e890827