なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『火の山のマリア』

火M


中米グアテマラで1977年に生まれたハイロ・ブスタマンテ監督の長編デビュー作でもある2015年の映画。
グアテマラの高地で暮らすマヤ人の17歳の少女の生々しい“青春映画”だ。
古代マヤ文明が生まれた地の文化や生活様式を織り込みながら、
原始的な伝統に愛着を持っているからこそ欧米などのガールズ以上に本能の赴くままに行動した、
思春期の女性のリアルな時間の一部を描いた佳作である。
ある意味“日常”を描いているにもかかわらず、
いや、だからこそ深い。

火S4

グアテマラの火山のふもとで両親と住む17歳のマリアは、
農業を営む家の仕事を手伝いながら家族3人で仲むつまじく暮らしていた。
農耕から畜産まで仕事は山ほどながら借地での農業だから生活はギリギリゆえに、
両親は家族の将来を考えてコーヒー農園の主任の男にマリアを嫁がせようとする。
当初その縁にマリアは拒絶をしてなかったように見えるが、
米国に行くことを決めていた青年と前々からこっそり会っていて、
マリアも惹かれていたから「連れて行ってほしかったら“味見”させろ」と青年に迫られて迷っていた。
やがて母親がマリアの妊娠に気づく。

以上、かなりぼかして書いた中盤までの物語である。
後半は一種のサスペンス仕立てにもなっていて俗っぽいリアルな人間の素行も描かれるが、
自然崇拝ものの作品とも接触する霊性が宿った空気感に持っていかれっぱなしだ。

火S3

マリア役の子は役者としての大きなキャリアはあまりないようだが、
初の映画の主演にもかかわらず落ち着いたド迫力の演技で息を呑む。
表情が豊かとは言わない。
だがわざとらしいほどの表情の豊かさには吐き気がする。
ほとんど無表情なのにマリアは百万の感情を静かに放射している。

母親も父親も素朴な熱演だし、
他の人物もナチュラルこの上ない。
何しろ作為がこれっぽっちもないのだ。
演技に覚悟を決めているという意識もないと思われるが、
自然とそうなっているからこそ、そこはかとなく生々しい。

火(6)

寡黙な映画である。

セリフの妙味が大切な映画の良さもわかるが、
言葉が作品全体の“言い訳”になっていることが音楽と同じく映画にも多い。
いわゆるそれっぽいメッセージがあれば音や映像そのものに命がなくても免罪符になるようなものだが、
『火の山のマリア』は骨太の叙情が漂う詩のような映像そのものが“メッセージ”になっている。

翳りを帯びたラテン・イメージの彫りの深い映像色に目が奪われっぱなしだ。
植物の緑や血の赤や土くれの褐色などすべての色が濃い。
民俗衣装と思しき服装の色合は言うまでもなく、
米国のカジュアル・ウェアーみたいな服装でも妙に濃く見える。
火に砂が混ざったような色合いで、
鮮やかでありながら微妙に暗めだからこそ“生きている色”であり、
すなわち野生と野性のプリミティヴな命の色。
それはこの映画の肝である。

火S6

さばいて食肉にするシーンも含めて生活を生々しく映し出している。
それは“生”を映し出していることも意味する。
いわゆる文明の利器がほとんどない生活を妙に洗い落とさずに見せ、
スピリチュアルな風習の場面もリアルな仕上がりに一役買っている。

光の使い方も絶妙の映画だ。
カメラの用語で言うところの露出を絞ってストイックにコントロールすることで光と共生し、
対象を鈍く輝かせている。
カメラの押しと引きが大胆な映像は重厚なほど地に足が着いていて圧巻。
アップで迫る場面も落ち着いた佇まいの顔なのに雄弁な表情を見せる。
特に広大な野外で多用される引いた映像ではどういう空間の中での動きなのかがよくわかり、
場面によっては人と人との距離感も表しているかのようで、
と同時に人物たちを遠くから見守っているようにも見えるカメラだ。
そんなカメラだからこそ見えてくる親子関係はクールな距離感を保ちながらお互いを尊重し合い、
うわべだけの絆みたいなやつじゃなく切っても切れないヘソの緒みたいなつながりに映る。

火IXCA CELINE

主人公のマリアは朝から晩まで家の仕事の手伝いが日課に思える。
友達との語り合いや遊んでいる場面はほとんどない。
そういう毎日だけに性に対しての関心が高まるのも無理はないと勝手に想像できる。

性を描く場面もたいへん“開放的”だ。
ある種の日本映画のように、
つつましやかでありながらも大胆な描写に息を呑む。
マリアの自慰もセックスも空の下で行なわれ、
閉ざされた空間ではなく解き放たれた場で“性”から“生”へと至る営みが展開されている。
風呂場でマリアと母親が湯けむりの中で肌を触れ合うシーンも、
生れたままの女性美がムンムンで目が覚める。

むろんそういったシーンが売りではなく、
どれも短時間に凝縮しているからこそ映える。
ふくよかな肉体性と無骨な精神性が溶け合い、
すべてがまさに生命の息吹そのものの映像なのである。

火S2

ストーリー上他に聞こえてくるものの他に余計な音楽の挿入も無し。
なにしろ映画全体がビートに貫かれているからイケる。
ゆっくりしたリズムの鼓動が生と性のハーモニーを成す映画だ。

グアテマラの公用語のスペイン語がわからない“原住民”はだまされてしまうなど政治的な格差の問題も考えせられ、
物語全体としては一種のフェミニズム映画としても見られる。
だが、そういったものを突き抜けようとする原始の命の力に胸がすく。

オススメ。


★映画『火の山のマリア』
2015年/グアテマラ・フランス/93分/カラー/スペイン語・カクチケル語/原題IXCANUL(VOLCANO)
2月13日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。
http://hinoyama.espace-sarou.com/
(C)LA CASA DE PRODUCCIÓN y TU VAS VOIR-2015


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コメント

こんばんは。
これ、去年岩波ホールで『ピロスマニ』を見た時の予告編で気になっておりました。中々濃いい作品みたいですね。
ラテン・アメリカ文学は結構好きなので、同じように、自然や大地を通じての神との結びつき的な、スケールの大きさをがあるのかな。
ご紹介ありがとうございましたm(__)m

Re: タイトルなし

yuccalinaさん、書き込みありがとうございます。
物語はシンプルでわかりやすいと思いますが、まさに濃いです。日常を描いてる映画でも、自分の半径30センチぐらいのことしか目に入ってない視点の表現とは別物で、やっぱり根本的な意識がでかいのです。メッセージ性も含んではいますが、とにかく映像そのものの力も思い知らされる映画です。

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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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