映画『L7:プリテンド・ウィ・アー・デッド』
2018-11-25

女性グランジ・ロック・バンドを代表し、
80年代半ば以降の“ハード・パンク・ロックンロール”を女性ならではの感覚でリードした、
LA出身のL7のドキュメンタリー映画。
http://theslits-l7.com/L7.htmlでバンドのプロフィールを書かせてもらったが、
映画自体にはあまり言及してないからネタバレ最小限にしてここで紹介する。
結成前夜から始めて紆余曲折を経た再編後の雄姿までを描いている。
懐かしの映像等を挿入しつつ
メンバーをはじめとする関係者の談話で進めるオーソドックスな作りながら、
スマホ以前の時代にもかかわらずメンバーらがマメに撮っていた赤裸々な秘蔵映像盛り盛りだ。
編集の妙味も手伝って彼女たちの猥雑な魅力も引き出され、
一度でもL7のファンになった方は観たら惚れ直すこと必至のくだけた佳作である。

L7の“クラシック・メンバー”の、
ドニータ・スパークス(vo、g)、スージー・ガードナー(g、vo)、ディー・プラカス(ds)、
ジェニファー・フィンチ(b、vo)がもちろん映画でもメイン・アクト。
ジョーン・ジェット、シャーリー・マンソン(GARBAGE)、エクセンヌ・セルヴェンカ(X)、
ブロディ・ドール(DISTILLERS)、アリソン・ロバートソン(DONNAS)、
ルイーズ・ポスト(VERUCA SALT)
といった女性ミュージシャンたちもコメントを添えている。
基本的にはバンドの歴史を綴っていく流れである。
ダイレクトな訴求力を大切にした作りゆえにリリースなどの細かい説明は映画の中で省かれているから、
ちょっと補足しておく。
BAD RELIGIONのEPITAPH、
初期NIRVANAやMUDHONEYなどのグランジ総本山のSUB POP、
XやGERMSがスタート地点のSLASH、
HIGH ON FIREのデビュー作などストーナー・ロック総本山だったMAN'S RUIN
といったレーベルからアルバムを出してきたバンドだ。
米国のパンクに根差した70年代後半からのUSアンダーグラウンド・ロックの流れを
90年代にパワー・アップさせた存在ということを象徴する事実であり、
しかもたくましい女性エキスたんまりだから向かうところ敵なし!なのである。
パンク・ロックとハード・ロックをフレンドした表現がL7の真骨頂。
それがサウンドだけでなく
ファッションや“ファック・ユー”アティテュードもひっくるめてということが、
この映画の随所にちりばめられている。

ギターのピックやドラムのスティックではなく使用中のタンポンをフェスのステージ上から客の中に投げ、
“使用済み”らしい下着を日本ツアー中の物販で手売りし、
エレベーター内でメンバーが囲って一人の男性に露出狂的痴女行為をするなど、
随所にちりばめたフェチな攻めのシーンにL7の肝が集約されている。
はしたないといえばはしたないのだが、
セックスのスラングであるロックンロールが根っこのL7ならではの“快挙”であり、
L7の濃いサウンドの源泉だ。
と同時に中絶云々に対してのL7流の学級委員長的な行動を実践してきたことも、
しっかり収録。
FUGAZIやBIKINI KILLといった非ロックンロール・アティテュードの面々とも絡んできた。
以上の行為すべてひっくるめて、
あえてこの言葉を使うとすればただひたすらロックするということがL7流の“フェミニズム”であり、
馬鹿馬鹿しいキャラと真面目キャラの背中合わせで愛嬌たんまりなのがL7!なのである。

知名度はあってもブレイクはしない“中途半端なポジションのバンド”ならではの苦悩も後半で滲み出す。
あけっぴろげで大胆なバンド・イメージが強く、
インタヴューで会った際の印象も実際そんな調子だったが、
繊細デリケイトな人たちでもある。
姉御肌のバンドだけにあまり弱みは見せられなかった様子もうかがえ、
2000年代初頭の解散間際のバンド状態がとても切ない。
家族に対する伝統的な意識や国家の社会的システムの違いか、
英国のバンドよりも家庭環境が少なからず影響しがちな米国のバンドならではの人生も顔を覗かせる。
豪快なキャラのバンドだからこそ、
某メンバーがふと漏らした“いわゆる女としてのしあわせ”の話にギクッとした。
でもL7はよりクールになって戻ってきた。
ニュー・アルバムも予定されている。

この映画は同じ時期に同じ映画館で
『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』とともに上映される。
今回の“併映”を企画した関係者によれば特に比較云々は意図してなかったらしいが、
多少世代が異なる英米の女性バンドの対照的な道程に色々考えさせられもした。
マイペースで活動して5年ほどで止めたSLITSの“クラシック・メンバー”たちが
子ども産んで育てて云々という話をしているのに対し、
15年間コンスタントにライヴとレコーディングを続けてきたL7の映画はそういう話がほとんど出てこない。
5年以上の“時差”はありつつ各々自国のパンクに触発されたバンド同士とはいえ、
いわゆるアーティスティックなバンドとロックンロール・バンドの違いや、
英国のバンドと米国のバンドの置かれた状況や体質の違いなど、
両作品を観て色々と浮き彫りになった。
あっ、そうそう、本作の中で、
『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』でのSLITSのアリ・アップと同じように、
ドニータ・スパークスが駐車場で見せるハレンチなお馬鹿シーンもお見逃しなく。
二人とも同じような場所で同じような行為をしている。
やっぱりL7とSLITSはパンク・アティテュードの根っこで通じているのである。
★映画『L7:プリテンド・ウィ・アー・デッド』
2017年|アメリカ|87分|PG-12|原題 L7:PRETEND WE’RE DEAD
監督:セーラ・プライス
© 2017 BLUE HATS CREATIVE, Inc. All Rights Reserved.
【公式サイト】 THESLITS-L7.COM
【『L7:プリテンド・ウィ・アー・デッド』 twitter/facebook】 @L7moviejp
12月15日(土)より、新宿シネマカリテにて〈3週間限定〉公開。
ほか全国順次公開。
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コメント
今年の締めは nashville pussy ザ スリッツ L7のビッチ(勿論 褒め言葉)祭りじゃー!
Re: タイトルなし
モチオさん、コメントありがとうございます。
ビッチーな3バンド連発でエキサイティングに年が越せてイイ年を迎えられそうです。
SLITSとL7の見えにくい意識の接点は書きましたが、男性メンバーが半分とはいえNASHVILLE PUSSYはL7の流れもくんでいますね。
比較すればL7は時代的にもオルタナティヴ・ロックに接点を持っていて、NASHVILLE PUSSYはもっとブルージーですが、ハード・ロックンロールの音楽性がそうです。そういうところだけでなくアティテュードも。本人は無意識でしょうが、NASHVILLE PUSSYのギタリストのライダー・サイズの痛快な発言とステージ・アクション/ヴィジュアルは、L7の一要素だった“豪傑フェミニズム”のヴァージョン・アップでしょう。
ビッチーな3バンド連発でエキサイティングに年が越せてイイ年を迎えられそうです。
SLITSとL7の見えにくい意識の接点は書きましたが、男性メンバーが半分とはいえNASHVILLE PUSSYはL7の流れもくんでいますね。
比較すればL7は時代的にもオルタナティヴ・ロックに接点を持っていて、NASHVILLE PUSSYはもっとブルージーですが、ハード・ロックンロールの音楽性がそうです。そういうところだけでなくアティテュードも。本人は無意識でしょうが、NASHVILLE PUSSYのギタリストのライダー・サイズの痛快な発言とステージ・アクション/ヴィジュアルは、L7の一要素だった“豪傑フェミニズム”のヴァージョン・アップでしょう。
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