なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『アヒルの子』

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再び家族にまつわる映画、
いや家族そのものがテーマの映画である。
一人の少女が家族と“対峙”していく2005年のドキュメンタリーだ。

84年に愛媛県で生まれた小野さやか監督の処女作。
『ゆきゆきて、神軍』で知られる原一男総指揮の下、
日本映画学校の卒業制作として8ヶ月ほどの時間をかけて二十歳の時に完成させたという。
社会的に自立するにあたって彼女はケリをつけねばならなかった。
おのれの心を掘り下げておのれの肖像を掘り起こさなければ先に進めなかった。
そこに立ちはだかったのは家族であった。

“個”としての自己を解き放つため、
家族から解放されるべく制作したかのようにも思える。
彼女も家族も裸にされる。
彼女自身は心だけではなく体も裸をさらしている。

自己に向き合おうすると否応なく切っても切れない血縁関係の家族にぶちあたる。
どーでもよければテキトーにあしらったり無視を決め込めば済む。
だが向き合ってきたからこそ背負わざるを得ないものとして家族を捨て去れない彼女にそれはできなかった。
入り混じった愛憎が変形しつつ、
多少なりとも、つながっていたいからこそ、あきらめてないからこそ、
4人きょうだいの末っ子の小野さやかは疑問に感じていたことを家族の一人一人にぶつけていく。
次兄、長兄、姉、そして父母に対してである。

映画『ランニング・オン・エンプティ』のところで書いたように、
いわゆる下の子は要領がいいと言われるが、
それは生存本能で生まれながらにして空気を読むことを学んでいくからではないだろうか。
ぼくは二つ下の弟がいる長男だから下の子の立場は経験してないから想像だが、
たとえば服はよく上の子のお下がりを着せられたりするわけで、
着るものに対して色々こだわりが強そうな女の子だったら幼少時でも強くジェラシーを覚えそうだ。
性別問わず気を引くために下の子は甘えることに意識的とも思われる。

馴れ合わず真正面から向き合っている人間に対して文句を吐くには勇気が必要だ。
自分の経験では煙たがられ距離を置かれてしまうことも多い気がするし、
ましてや親兄弟にはなかなか言いにくい。
特にボロボロ泣かれるととてつもなくヘヴィな気分になるから親に対しては切羽つまらないと言わない。
だが“いい子”であり続けた小野さやかもギリギリ崖っぷちに立ったから覚悟を決めた。

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小野さやかは家族の人間に個別で真剣勝負を挑んでゆく。
“心の戦闘”の一部始終を生々しく捉えてゆく。
心を許す次兄には恋人みたいな思いを寄せ、
幼少時に性的仕打ちをされた長兄には謝罪を要求。
両極端のプラトニックかつ肉体的な近親関係が二人に対する感情そのままの映像で描かれる。
中学生になってグレて親に迷惑をかけた姉に対しては、
その“とばっちり”で親に心配をかけない“いい子”でなければという責任を背負ったことを吐く。

“家族をぶっこわす”ような勢いで父と母にも迫る。
「自民党をぶっこわす」と言った小泉純一郎が家族団らんのテレビの画面に登場する場面で推測できた、
いわゆる自虐史観に反発を覚える保守的な価値観と思しき父親からしたら、
身内の恥をさらす暴露行為は言語道断だったと思われる。
このあたりのくだりでの母親の態度からも家父長制をイメージしたのは深読みだろうか。
特に厳格な父親に対しては小野さやかが勘当覚悟で臨んだことは想像するに難くない。
実際“命がけ”で挑んだシーンも撮影されている。

代表取締役として会社を経営して市の教育委員長も務める父親の下で比較的裕福と思しき家庭で育ち、
小野さやかは周りからも“いい子”であるべきプレッシャーを感じていたのだろう。
“いい子”でいることで溜まりに溜まった20年分の感情が一気に噴き出したかのように、
全エナジーを注いで家族のひとりひとりに真正面からぶち当たるたびに涙ボロボロ。
誇張ではなく撮影中に1リットルの涙を流したのではないだろうか。
自己を抑えつけてきた“いい子”からの解放の涙である。

小野さやかには5歳の時にヤマギシ学園幼年部に1年間預けられた“決定的な体験”があった。
農業・牧畜業を基盤とした理想社会を目指すコミューン団体の幸福会ヤマギシ会の思想体系を体現するべく、
子供たちを育てることを目的にした所である。
両親は貴重な体験をさせたかっただけで悪気はなかったようだが、
彼女は親に捨てられた気持ちになった。
いわゆる“施設”に預けられた子供みたいな気持ちになったと思われる。
“いい子”になったのは二度と親に捨てられないための自己防衛でもあった。

捨てられたと思ったのは、
その前後の家族の中における彼女の立ち居地も影響したと思われる。
両親だけではなく他の3人の“きょうだい”との関係性も含めてだ。
そうやって“誰からも愛されていない”“誰からも必要とされていない”とも感じ、
自死の道も選びかける。

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家族全員ひとりひとりに対する真剣勝負を終えた後もモヤモヤが解けない小野さやかは、
父親が保管していた名簿を発見したことを機に、
15年前に1年間共同生活をしたヤマギシ学園幼年部の面々を訪ねていく。
そこで何が行なわれていたか、
親から離れて寝食を共にした人たちが今どう感じているかを話してもらう。
もしかしたら彼女の過剰反応なのかもしれないとも思ったが、
ヤマギシ学園幼年部の“母親係”の女性とも対面し、
親元から放たれた状況での精神的な体罰が“捨てられたという傷”に塩を塗った形になったとも想像できた。

親子の関係でいったら、
そういう曲も含む2枚のCDを再発したばかりのバンドのJURASSIC JADEを思い出す。
この映画では少なくてもいわゆる虐待をされたという話は描かれていない。
ただ逆に言えば暴力とは違う“虐待”一歩手前の目に見えない精神的なプレッシャーは、
目立たないし無自覚に行なわれていたりするからタチが悪くてキツい。
じわじわ効いてきて蝕む。
いわば“silent abuse”である。

イージーな共感は慎みたい。
だがぼくにはこの映画がすごく“響いた”。

個人レベルでも政治レベルでも同じように、
足を踏んだ側の人間はすぐ忘れるが足を踏まれた側の人間は決して忘れない。
心からあやまること、
そして直面している問題から逃げない勇気を与えられる。

なにもかもを吐き出したがゆえに訪れる終盤の小野さやかの顔がきれいだ。
20年間生きてきてやっと女の子として甘えられたラストにぼくも救われた。


★映画『アヒルの子』
92分。
5月22日より東京・ポレポレ東中野にてモーニング&イブニング・ショー。
『LINE(ライン)』と同時期公開。
全国順次公開予定とのことだ。
http://ahiru-no-ko.com/


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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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