なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白』

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再びベトナム戦争のドキュメンタリーである。

終戦3年前の72年にニューヨークで一日だけ公開され、
ベルリン国際映画祭とカンヌ国際映画祭における上映で高い評価を受けたが、
長年ほとんど闇に葬り去られた状態になっていた映画である。
“9.11”以降のアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争を経て、
2005年8月にニューヨークでリバイバル上映されたあと、
アメリカ各地で上映活動がスタート。
その加速した流れでこのたび日本でも初公開となる95分の作品だ。

『ウィンター・ソルジャー』は“ベトナム帰還兵の告白”が核である。
6人の帰還兵が67年に行なった平和のためのデモ行進に端を発する、
“戦争に反対するベトナム帰還兵の会(Vietnam Veterans Against The War)”の主催により、
71年初頭に米国デトロイトで行なわれた公聴会がメインの舞台である。
公聴会に女性の姿が目立つのも興味深いが、
一般の傍聴者の他に新聞社やテレビ局の人が駆けつけたにもかかわらず、
あまりにハードコアな内容のためか当時はほとんど黙殺されたという。

帰還兵たちは多少なりともベトナムに対して罪の意識を感じたがゆえに公聴会に出向いて体験を語る。
アメリカに限らずどこの国家でも・・・いや人間は、
自分や身内のネガティヴな面を隠蔽し、
自分や身内が行なった過ちを正当化したがる。
そして新たな“戦争”が始まる。
この公聴会は戦争中に自国で行なった行動だ。
アメリカ国内でも現地の悲惨な状況が少しずつ伝わり厭戦気分が高まってきた時期とはいえ、
いわゆる反米的なアティテュードの行動ゆえに“非国民!”みたいな非難の声の嵐も想像できるから、
いかに勇気ある行動かがわかる。

そんな彼らは静かに言葉を吐く。
言葉に詰まる者もいるが、
淡々とした語り口からは嫌でも骨の髄にまで染み込んだ恐怖と悔恨の深さを感じ取れる。
話の内容は凄絶極まりない。

WS3-サブ1

以前紹介した『ハーツ・アンド・マインズ』は多角的な視点でベトナム戦争を描き出した映画だが、
『ウィンター・ソルジャー』はもっとパーソナルな視点でベトナム戦争を深々とえぐり出している。
帰還兵たちが直面したのは共産主義という形無きイデオロギーではない。
ベトナムの生身の人間が相手だ。

帰還兵の口からはベトコンという言葉が頻発する。
ベトコン(Viet Cong)とはアメリカ寄りの南ベトナム政府に抗う南ベトナム解放民族戦線のことで、
“Viet Nam Cong San=Vietnamese Communists(ベトナムの共産主義勢力)”の略。
ベトコンは蔑称ともされるが、必ずしも彼らが“正義の味方”だったとも言えない。
内戦下では特に敵も味方もない。
昨日まで被害者だった人間が明日は加害者にもなる。
それも戦争だ。

やはり軍隊による教育が大きい。
国家のためにアレコレ刷り込まれる。
兵士はみなanimalにされる。
兵士はみなkilling machineに“改造”される。
自分の感情を殺さなければベトコンはもとより無抵抗の女子供は殺せない。

ウサギを使った教育で上官が突然首をへし折り、
目の前でさばいて兵士たちに“慣れさせる”。
訓練中の掛け声も「Kill! Kill!(殺せ! 殺せ!)」である。
ずっと軍の内部に閉じ込められていて本番になって一気に戦場という名の外に送り出され、
解放気分になってヤル気マンマンになった兵士たちは、
自然と“いざ実践!”“訓練の成果を試したい!”というふうになるのだ。

蔑称とされる言葉(gook)を使って話す帰還兵も含めて、
“東洋人”に対する差別がアメリカ兵の意識を支配していた。
それが洗脳よるものか潜在的なものかは断定できないが、
ベトナム人を人間(human being)と思ってなかったことが告白される。

黒人の帰還兵が人種差別について口をはさむ。
「上官がKKKだった!」とも言う彼は、
黒人は日雇い人夫か兵士になるかしか選択肢がなかったことを話す。
当時のアメリカに徴兵制があったことは心理的に現在の兵士と大きな違いがあるから忘れてはならないが、
ジョージ・W・ブッシュの例に代表されるようにベトナム戦争に行かず逃げる術も存在した。
ただしイラク戦争やアフガニスタンに派兵された兵士に貧困層が多いという点で、
多少なりとも今と近しい点もあるように思える。

WS2-サブ2

捕虜虐待は日常茶飯事。
周りの兵士は笑いながら見物。
ヘリコプターから落とす。
口を割らせる拷問も当たり前。
肝試しで耳を削ぐ。

殺した人間の数を競い合う。
殺した人間の耳を削いで持っていって殺した人間の数の証拠とする。
殺人競争で勝ったら商品としてビールがガンガン飲める。
数を競い合うから水増し報告もある。
殺した人間の数の報告が義務づけられていた。
同じように多かった米兵士の死者の数の方は隠蔽されていた。

帰還兵たちはゲリラ攻勢をしてくるベトコンを恐れていた。
アメリカ兵にとってベトコンは数秒後に命を奪われかねない“敵”だ。
九死に一生を得た兵士は一瞬でも気を抜いたら一瞬で殺されかねないことを体で覚える。
食うか食われるか、生きるか死ぬか、どちらもまさに必死だ。
そんな崖っぷちの状況の戦場では反戦も平和主義者(pacifist)もへったくれもない。
やられる前にやる、それのみだ。
アメリカ兵はベトコンか民間人か判断している余裕もない
極度の緊張感で疑心暗鬼になっているからパッと見でベトナム兵と民間人の区別が付かない。
そんな心理状態だと民間人も“敵”でしかない。
そういうことはアメリカにとってのベトナム戦争とよく比較されるイラクやアフガニスタンにも言える。


だが、明らかにヤりすぎ(overkill)だった


まずベトコンの激しい場所に連れていかれて彼らの怖さを植えつけられ、
それから民間人の村へ送り出されることもアメリカ兵には行なわれた。
するとベトナム人すべてに対しての警戒心が高まる。
そんな調子で誤って民間人を殺してしまっても、
「死んだら民間人だろうがベトコン扱い」という報告をしていたという。
基本的に“兵士”は殺しても戦時法上では罪に問われなかったりするからだ。

ヘリコプターから生々しく映し出すのは、
草むらで隠れるベトナムの人々、
命乞いをするようなベトナムの人々、
見つかって撃ち殺されないことを祈るようなベトナムの人々、
視線が合って撃ち殺されないように身を隠すベトナムの人々。

武器を隠してないか調べるために家から叩き出されて、
おびえ、泣く、女、子供、お年寄りたち。
ちょっとでも反抗的な態度をとると暴力をふるうアメリカ兵。
村を消滅せん!とする勢いで家々を焼き払う。
家といってもそれこそちょっと点火したらパッ!と燃え広がるような作りの家だから簡単だ。

狙っていたベトコンが不在で腹いせに子供を殺すアメリカ兵。
子供に毎日馬鹿にされて石で逆襲に出たあげくに死なせてしまったアメリカ兵。

強姦したあと、内臓をえぐり、性器をえぐり、皮を剥ぐ。

老若男女問わず差別区別なく容赦しない。
ときおり映し出されるベトナム笠をかぶった女性たちが彩る田園光景とのギャップでさらに心臓を射抜く。
帰還兵の話は時間の経過を感じてもらうためかモノクロで、
ベトナムでの女子供お年寄りの映像は当時まだ戦争が続いていることを示すかのようにカラーなのも、
両者が置かれている状況の落差を露骨に示したように思える。

WS4 サブ

帰還兵たちからは被害者としての言葉がほとんど出ない。
「殺された仲間の仇」みたいな発言もあるが、
ほぼすべて加害者として告白して軍隊生活を振り返る。
そういう意味では以前紹介した映画『南京 引き裂かれた記憶』にも通じるが、
『ウィンター・ソルジャー』の方は血と硝煙の匂いが体から消えてないうちに語っているから生々しい。

“兵士は強くふるまい勇敢に戦わなければならない”という、
そんな“オトコ”になるために兵士になった帰還兵もいるが、
“映画を見て感動しても男は泣いてはいけない”みたいな兵士の感覚が残っているとも言う。
いくら軍隊で訓練されても人間としての感情は殺し切れない。
ベトナム戦争に限った話じゃないだろうが、
ストレスが溜まったアメリカ兵はが出撃前の不安をまぎらわそうとして、
基地のある沖縄の飲み屋で酔って暴れたりするなどそこいらでやりたい放題になったのも一例で、
以前書いた映画『LINE』の舞台の一つであるコザの70年12月の“暴動”の引き金にもなった。

公聴会に出席した帰還兵はヒゲとロンゲが多く、
ヒッピーみたいなルックスの男性も目立つのが興味深い。
おのれの“個”を殺してベトナム人も殺した兵士の顔から、
晴れ晴れとした“個”が際立つ一人の人間の顔になっている。
一人一人みな個性的な顔になっているのも特筆すべきだろう。
国家に限らず“個”を抹殺して“仕事”に送り出す集団の怖さを暗示しているかのようだ。


目と耳に染みるエンディングのブルース・ナンバーがおのれを省みるトドメとなって響く。


メインビジュアル

公開情報は以下のとおり。

ベトナム戦争勃発から50年
映画で見る戦争(ベトナム)の真実

『ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白』
『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実』

6月19日(土)より、東京都写真美術館ホールにて同時公開 
公式HP www.eigademiru.com


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コメント

やあ

最も困ってしまうのは、こういう偏向映画を鵜呑みにしてしまう人間がいることだ。
しかもその人間が、レコード会社の下僕だろうと一応メディアに属していたりすると、さらにたちが悪い。
パンクを聞いている=頭が悪い、という図式が成り立ってしまうのは、小生もパンク好きのはしくれとして内心忸怩たるものがある。

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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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