なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『シルビアのいる街で』

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これまたストレンジな映画である。
恋愛映画なのかもしれないが、
思い込みが強すぎるあまりに“変質者的”に映るのは古今東西世の常。
ぶさいくな男ではなく内向的なイケメンの青年だからこそ映える甘美な薄気味悪い行動を、
乾いた映像と音声で冷淡なほど抑えて描写する立体的な時間の流れに、
呼吸のリズムが変わるほど引き込まれてしまった。

スペイン/フランス合作の2007年の映画だ。
1960年スペイン生まれのホセ・ルイス・ゲリン監督の6本目の映画であり、
本作が日本では劇場初公開となる。
監督自身の体験を基に、
19世紀のフランスのロマン派詩人ジェラール・ド・ネルヴァルの「シルヴィー」にインスパイアされ、
制作された映画である。


ドイツとの国境に近いフランスの古都ストラスブールでのたった3日間の物語。
狭い場所での短い時という限られたシチュエーションの中のドラマだ。
ただし一日目はプロローグで三日目はエピローグみたいになっており、
二日目の“24時間”に一生を懸けたように主人公の青年の体液が静かに沸騰している。

中盤まではセリフらしいセリフはほとんどないし、終盤にはセリフがない。
それもそのはず登場人物らしい登場人物は、
青年(グザヴィエ・ラフィット~1974年フランス生まれ)と、
シルビア似の女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ~1978年スペイン生まれ)の、
二人だけ。
セリフ要らずのシンプル極まりないストーリー、
だが奇妙な感覚に襲われる。

サブ1

6年前に出会って忘れられない女性のシルビアの面影を求めて、
街にたたずみ街をさまよう青年の3日間。
青年の名前はわからない。
なぜなら彼の名前を呼ぶ人間が誰も登場しないから。
匿名性を意識したとも思うし、
誰にでもありえることとも思わされるが、
たった3日間の物語とはいえ彼が様々な意味で“独り”ということを暗に示しているようにも思える。

カフェのテラスに座ってデッサンをする青年。
モデルはカフェの女性たち。
盗撮にも似た様相で遠目から勝手に描いている。
青年はこの映画のタイトルをノートに描いてもいた。
シルビアがまだこの街にいるはずだからぼくはここから離れられない、
そんな気持ちも読み取れる。

青年はやがてガラス越しに一人の女性に目が留まる。
彼女が店を出るや否や、
真っ昼間から飲んでいた数杯目のビールのグラスをあわてて倒しつつ席を立ち、
彼女を追う。

途中で「シルビア!」と声を掛けても無反応の彼女。
もし彼女がシルビア本人で青年のことを思い出したとしても、
彼と関わり合いたくなくて知らんぷりを決め込んだとも解釈できるが、
ただ誰だかわからない気味の悪い男が付いてきているという恐怖感も読み取れる。
見る人の心持ち次第である。
ともあれシルヴィア似の女性は途中で青年に気づいてナチュラルに彼を巻こうと試みるが、
“紳士的なストーカー”は追い続け、
路面電車の中で遂に彼女がシルビアかどうかを真正面から確かめる。
まもなく青年は「最悪だ(実際の発言はdisaster~“災害”)」と「sorry」を繰り返す。


女性の追跡劇、
メインの舞台はそれだけである。
だがひたすら魅せられっぱなしだ。
妄想の強さと強迫観念のパワー、
想念を糧に生きる男の静謐な精力にむずむずしてくる。

シルビア云々以前に青年は冒頭のあたりで既にナンパをしている。
カフェで談笑している女性たち次々とデッサンをしているシーンも物色しているようにも見える。
シルビア似の女性に声を掛けて別れた日の夜も、
BLONDIEの「Heart Of Glass」が流れる中カウンターの席で女の子に声をかける。
青年が単なるシャイな男ではないところもそこはかとなくいやらしい。

シルビア その他

青年とシルビアとの関係は詳しく語られていない。
愛し合った間柄という解釈もできるが、
最後まで見てこの青年の素行を見ていくと単なる片思いだったんじゃないかとも思える。
見る人がいかようにも物語の背景をふくらませられる。
木漏れ日のような明るさで初春をイメージさせる気候の映像の中で、
青年につられて妄想イマジネーションが湧き続ける。

見る人の想像力も試される空間をたっぷりとこしらえた映画である。
青年の穏やかな特異性を落ち着いた音声力と映像力が浮き彫りにする。
音声と映像による街の光景のデッサンのおくゆかしいパワーにもヤられるのだ。

いわゆるセリフがなくても“サイレント・ノイズ”とも呼ぶべき音響が映画を支配している。
いわゆる音楽はカフェでのヴァイオリン生演奏とバーで流される大音量のロック・ミュージックのみ。
雑踏でフィールド・レコーディングも行ない、
数ヶ国語で語られているという話し声 などの“雑音”を研ぎ澄まして挿入しているのだ。

まるで幻聴のようにざわつきが“すぐそばの遠く”から聞こえてくる。
しらふじゃないような聴覚に陥ったようにもなり、
強迫観念に憑かれて幻に突き動かされているみたいな青年と時間を共有させるのである。

ホセ・ルイス・グリン監督は墓を訪れるほど小津安二郎が好きだという。
小津が住んでいた北鎌倉からはちょっと外れるが、
この映画のアクセントになっている音を発する路面電車が江ノ電ともダブる。
弛緩とすら言える青年の追跡をはじめとして、
終始まったりした時間の流れも小津作品に通じる。


青年が“物色”しているときの女たちに加え、
青年がシルビア似の女性を追ったり町を俳諧する際に映る、
ストリートでのふつうの人々の生活を克明に織り込んだからこそ生々しい仕上がりになっている。
ストリートといっても手垢にまみれたオシャレなイメージじゃない日々の暮らしの舞台の路上だ。
この街にも壁に落書きされているとはいえ
(青年とシルビア似の女性が同じ場所を回っていることを示すために監督自ら描いたものもあるという)、
静粛な雰囲気の中世的な街並みの中だから、
そんなにねちっこくは見えない。
東京だったら銀座周辺の裏道みたいであり浅草の裏道みたいでもある。

路上でへたりこんで飲んだくれている中年の婦人。
あちこちに出没する物売りの人。
タバコをせびる人。
不具の人。
恋人や友達や家族とくつろいでいる人。
青年がシルヴィアの幻影にうつつをぬかしている時間に無数の人間がまったく違う人生を過ごしている。
あるときは遠目から、
あるときは接近して、
カメラがとらえる。
ジム・ジャームッシュの“間”の感覚にも接点を持っていると思うが、
画面の切り取り方やフレームへの収め方が心理的に距離を置いた静止画みたいで独特だ。
シルビア似の女性だけではなく映画を見ている人をもじわじわと追い詰めてゆく。

街中で登場するふつうの人たちの大半は一般の人ではなく監督の“仕込み”らしく、
雑踏などのユニークな鳴りの音声もコラージュみたいに多少の“音作り”を施しているという。
そういう緻密な作りと偶発性との見事なハーモニーで生々しい仕上がりだ。
音楽ならば作曲された曲と即興の融合がダイナミズムを生むことと一緒ではないか。
そういう意味でもすごく音楽的な映画だ。

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ロマンチックといえるほど鮮やかな筆致ゆえに青年の行動は尊いものみたいに映し出されるが、
冷静に見れば危険度の高い“うだつの上がらぬ男のストーカー映画”である。
そういう意味で個人的にここ1年以内に見た映画だと『アンナと過ごした3日間』を思わせ、
“シルビアと過ごした3日間”という副題を付けたいほどである。

犯罪性を忘れさせる研ぎ澄まされた幻想的な美意識に貫かれている。
映像的にもストーリー的にも“空間”が多くて風通しのいい緊張感に覆われ、
春光のようなまったりした空気が映画館の中を支配する。

だから結論はない。

決して嫌いな人ではないが、
勝間和代はちょっと前の朝日新聞の連載コラムで“ピーク”と“エンド”の大切さを説き、
「映画もエンディングの印象がもっとも重要ですし、その映画の中に一つでも印象深いシーンがあると、
そこだけが記憶に残ります」と書いていた。
一般的なストーリーではそのとおりだと思う。
でもこの映画はそのへんがあいまいだからこそ苦い甘美を宿している。
シルビア似の女性に正体を確かめた瞬間に、
主人公の青年も大半の観客も“ドラマ”を期待するだろう。
だがその後も何事もなかったように街で時間が進んでいく。
その流れは、
くすぶった青年の淡い空漠感であり、
静かなるエクスタシーのあとの余韻みたいな心地よさも覚える。


★映画『シルビアのいる街で』
日本語と英語の字幕付の85分。
8月7日(土)より、東京・渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開。
大阪、京都、兵庫、愛知、石川などの府県で9月以降順次公開予定。
http://www.eiganokuni.com/sylvia/


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コメント

なるほど

はじめまして。
退屈と思った映画をこんなに深く鑑賞される方がいらしてとても参考になりました。
トラックバックさせていただきました。
よろしくお願いいたします。

コメントありがとうございます。
こういう映画に関するリアクション、シンプルにうれしいです。
メリエンダさんの「鑑賞ノート」も読ませていただきました。
他の映画に関する文章も含めて率直な感想でいいと思います。
ぼくに備わっているかは疑わしいですが、
“詩心”という表現がとても気に入りました。
音楽関係の文章が多いので歌心という言葉は自分でもよく書くのですが、
今後使わせていただくかも。

見てよかった

 見るべきか見ざるべきか迷いました。映画館の「台詞がない」(まあ「ほぼない」と言っていいでしょう)と「実験的な作品」の宣伝文句にひかれためしたところ、大正解。でも行川様のような高尚な視点には立てませんでした。
 私も主人公と一緒に街を歩きました。テレビの「世界ふれあい街歩き」みたいな映画です。もちろん、街の音のみを拾っているし、余計な会話はないし、カメラワークも入り込めるようなので、この作品のほうが現実的に感じられました。実際、海外行った時、テレビ番組ほどに人と交流することはなかったしな。この映画、そういう意味でリアルですよ。
 シルビア似の女性に対して、主人公がシャイなところが、日本人的で個人的に共感できたのかもしれません。普通のジンガイのあんちゃんなら、こんなめんどくさいことしないでしょ。でも画家志望だから、「6年前」から特定の女性に固執しつづける、というのは理解できる。そのこだわり、渇望は芸術作品として花開くだろうし、創作にその悲しさくやしさをぶつければいい。むしろ「ストーキングは芸術の源」と言っていいんじゃないか? とこの映画を見て思いました。
 この主人公、確かにワンナイトラブはあるし、いわゆるストーカーと言っても、「ちっと優しくしてもらったから俺のこと好きだろ」みたいな女性とつきあったことのない所謂ステレオタイプなストーカーではありません。むしろ、よく正面から声かけられたな、と思いました。(俺なら「シルビアじゃなかったのか・・でも面影瓜二つの君にぜひモデルになってほしいな」とでも口説こうか、と思いながらハラハラして見ました。これじゃ大久保清みたい)
 対する女性の反応も面白かった。さっさと声かけてくれりゃ、もしかしたら、(あくまでももしかしたらだけど)まんざらでもなかったかもしれない、ともいろいろ解釈できます。
 そう。解釈の自由のある映画ですよね。
 主人公は決して女性経験もなければ、他の女に関心がないわけでもないのだから。「こりゃ、寝られそうで寝さしてくれなかった女がシルビアだったのかなぁ」と男の征服感を未消化にとどめた説。それともさんざんその気にさせて、結局ふりまわしただけの所謂悪女説、とかです。
 それとも、つきあってる時にはその良さがわからなかったけど、「あんないい女いなかったなあ」というかんじでしょうか? いや、それはないな。「地図描いてもらった」程度の思い出しかないみたいだし。画家としてのインスピレーションを喚起させる女だったんでしょうな。
 とまあ、この場をかりて勝手なことを書かせていただきました。ありがとうございました。
 
 

ストラスブールさん、書き込みありがとうございます。
確かに異邦人として街中にトリップした気分になる映画ですね。と同時に、それこそ国内でも馴染みのない場所を訪れるとこの映画みたいな雰囲気に陥ることがあります。物語云々以前に、場面の切り取り方や映像のアングルだけでも不思議な感覚を体験できる映画ですね。
ストーリーも見る人の環境や精神状態で様々なドラマを勝手に“創造”できる映画ですし、クールな佇まいだからこそ見る人の個々の奥底に潜在するイメージを浮かび上がらせると思います。主人公はいわゆるアーティスト気質というか想像力と妄想力が無限で、その自分の世界に見る人を道連れにしていく感じでもあります。
セリフに頼らないところも、表面的な知識だけで肥えてイマジネーションが欠落しているような状況に対する挑戦みたいな。効果的なときもありますが、過剰なテロップに頼るテレビのバラエティ番組とは対極です。
ストラスブールさんの加速する言葉の数々も『シルビアのいる街で』が喚起したと思いますが、映画にしても音楽にしてもグレイトな作品は語るべきことがたくさん出てきて、次々に言葉が湧いてくることが読んでいても伝わってきました。
あらためて映画の可能性を提示した映画とも思います。

難しい・・・映画

今DVDで見終わったばかりですが、楽しめたか?と聞かれれば、楽しめなかったというのが答え。
男がイケメンでなければ、ただの変態映画。
でも、男の願望についてはとても正確に表現している。未練たらしいところとか、大切な女性を探しながらも現実の女に目移りしている感じはとても現実の男って感じがする。それに、シルビアと間違えて後をつけた女性と同じ服をきた女性を、次の日またつけてしまうところなんて、シルビアと間違えた女への未練がたらたら。シルビア探しをしながら、現実の世界も捨て切れない感じがは本物の男みたい。
こんな立派な映画の中で、なかなか口にできない男の頭の中を描ききったところは評価に値する。
あと、加工はしてあるがなんとなく自然な音を拾ってあるのは面白い。
ヨーロッパの街並みが好きな人にもおすすめかも知れない。

興行的な成功は望んでいないのだろうし、映画に面白さや刺激を求める人のニーズには合わないですなぁ

Markさん、書き込みありがとうございます。
そうなんです、男が非イケメンだったら同じような演技をしても変質者扱いでしょうね・・・リンクもした映画『アンナと過ごした3日間』みたいに。イケメンということでロマンみたいなものを維持しているというか。と同時にナンパもできるイケメンの変態映画という面白さもありますね。未練と執着心がヨーロピアンな雰囲気の中で描かれているのも特徴でしょう。
音の使い方もやっぱりポイントですね。そういう意味では実験的なのかもしれませんが、激しい展開のないごくごくシンプルなストーリーの中でそれをやっている映画でしょう。
音楽にもそういうものは多いですが、エンタテインメントとは違う「あれはなんだったんだ・・・」と不思議な気分になる映画ですね。個人的には、ぼくが教えたわけではないですが、映画マニアの旧友や同業者の方もすごく気に入っていたのも興味深いです。

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シルビアのいる街で

スペイン人監督によるフランス映画。 ストラスブルグの詩的な町を イケメンの若者が もと恋人を探して 恋人と見間違えた美人をひたすら...

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プロフィール

行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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