なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『テザ 慟哭の大地』

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東アフリカのエチオピアを主な舞台にした2008年の映画。

個人的にエチオピアといえば強権と飢餓で80年代にアフリカの悲劇のイメージを決定づけた国だ。
USA FOR AFRICAという大メジャーなミュージャンが集ったプロジェクトで85年に発表された
チャリティの曲「We Are The World」も、
エチオピアの飢餓/難民の救済がメイン・テーマだったとされる。

この映画もエチオピアの政治の知識がなくてもまったく問題ないし、
ぐいぐいぐいぐい引き込んでいくストロングな人間ドラマの秀作である。

監督/脚本のハイレ・ゲルマは1946年にエチオピア生まれで、
自身と同じく米国や西半球に移住したアフリカ系の課題と歴史を描いた作品を多く制作しているといいう。
専門家の方によれば本作は、
近年のエチオピア史の中でも最も激動で困窮の部分をあえて取り上げてないように感じるという。
だがエチオピアの中でも地域によって状況は違うだろうし、
80年代に日本でも大々的に伝えられた大飢饉の影に埋もれがちだったカオスも浮き彫りになっている。

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70年代前半に医師を志して故国エチオピアからドイツに留学した男性アンベルブルが主人公。
実家は裕福とは言いがたいがため祖国に希望を持ち帰るべく医者を志し、
ドイツでは“仲間”もできたし“恋人”できて楽しい日々を送る。
エチオピアで帝政が続いていたが、
70年代半ばに政変が起きてマルクス主義の“社会主義国家”が誕生。
だが歓喜の友達とは違ってアンベルブルはナイーヴではなかった。

80年代にアンベルブルはエチオピアに帰国。
降り立った空港からして軍が警備して街はカール・マルクスの肖像画だらけ。
母と会いたいと思いつつ簡単に事が運ばない現実に直面する。
勤務する首都アディスアベバでは、
右へならえ!の“集団”の中にからめとられて“個”としての人間は消されていた。
密告と粛清が浸透して知識人と労働者との対立も実感し、
“集団”に従わぬアンベルブルも吊るし上げられて“反革命分子”として“自己批判”を迫られる。
そんな中でドイツ在住時代の友人が近くで“個”を消失した“集団”の餌食になる。
アンベルブルは彼の代わりに命じられた東ドイツ行きを受け入れるが、
そこでは見た目からして異分子ゆえ排他的“集団”から一生背負う“痛み”を与えられてしまう。

90年にようやく生まれた村に帰郷。
だが家のことをあまり顧みずに外国で勉強してきて戻ってきたインテリの弟に対し、
外国とは無縁の村でずっと親を世話してきたと思しき兄は面白くない。
伝統を重んじる村民とも軋轢を起こし、
村の長老たちはアンベルブルが悪霊に憑かれていると思い込んで取りはらう儀式を行なうが、
彼は夜ごと悪い夢にさいなまされる。
また家に母親と同居する事情ありの女性アザヌに対しても、
かつて彼女が行なった“行為”をネタに村民の視線は厳しくて“魔女狩り”の様相を呈す。
そんなふうに疎ましがられるアンベルブルとアザヌは心を通じ合っていく。

だが軍政と反政府勢力との内戦は激化し、
日本だと小学生の年頃と思しき子供たちも狩られて最前線に送り込まれる。
政府直系の民兵や反政府勢力のゲリラが世界中の様々な地域で行なっていると言われる行動だ。
子供たちは連中に捕まらないように普段は親元から離れて“秘密基地”で息を潜める。
連中が姿を現さないことになっている時間帯に母親の仕事を手伝おうと顔を出すが、
連中に見つかって逃げようとする親の目の前だろうが容赦なく“永眠”させらされる。
一瞬で永遠に引き裂かれた親子の無念。
何もできないアンベルブルの無力。

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もはや反政府もヘッタクレもない。
人種差別と性差別のテーマも密かに忍び込ませたように思えるが、
馬鹿の一つ覚えのイージーな“反~~”といった“付和雷同のスローガン”がイージーに見える。
ある意味での持ちつ持たれつのカオスを引き受ける強さを内包している。

“左翼活動家用語”が会話の中で頻発して、
その筋の知識がある人だったら困惑or苦笑必至である。
家族関係を絡ませつつ、
日々を営むことがやっとのフツーの人の生活から遊離して思い上がった
頭デッカチで無責任な“革命運動”に対する静かなる批評にも思える。
その行動様式や独善意識が恐怖政治の下で一般層の“フツーの人々”に浸透したときに訪れる、
街に設置されたカメラの百万倍緻密で怖い密告・監視社会の恐ろしさも強烈に伝わってくる。

エチオピアはエジプトをはじめとする最近のアラブの動きと直接リンクしているわけではないし、
この映画は今のエチオピアでもないが、
世界がいつでも“非常時”であることを思い知らされる。
どの国家、民族、人種だろうが関係なく深々と“生”の本質を震わせる。

同志はいなくなった。
どこへ行ってもほとんど“よそ者”である。
だからこそアルベルブルは立ち上がる。


すべてがつながっていることを示すためか悪夢と現実を重ねるためか、
時代や場面を行き来する作りになっている。
こういうことをすると話の流れがわかりにくくなる映画もあるが、
物語の核がわかりやすく編集も絶妙で違和感のない仕上がりだ。
様々なことを描き出す重い作品でトータル140分の長さにもかかわらず、
テンポのいいリズム感で展開されていくのもポイントである。

試写会のときにいただいた紙資料によれば、
エチオピアの田舎での撮影は忍耐を要したという。
機材を運ぶのも容易ではなく村の発電機の電気もしょっちゅう停止。
現地の農民も多数出演しているそうだが、
映画もテレビも知らない人たちが欧米人中心の撮影クルーの前で“演技”をしたらしい。
だがそういった作りだからこそ熱いのである。

生々しい映像での情景描写も
簡潔なセリフでの心理描写も見事。
詩情豊かな村の映像美と描かれている強烈な“真実”との振り幅の激しさが本作のリアリティを高めている。
目を覆いたくなるシーンも含まれているが、
妙に激化せず感情的にならずに落ち着いたトーンゆえ作品全体に重みがある。
ときおり流れるジャズを基調にした静かな音楽も場の雰囲気にマッチしている。
すべてが律動しているのだ。

おくゆかしくナチュラルにフェミニズムも織り込まれているようにも見えるし、
たくさん出演している子供たちも映画のテーマを決定づけている。

困難の中でも新たな命は生まれ得る。


★映画『テザ 慟哭の大地』
2008年/エチオピア・ドイツ・フランス/
アムハラ語[エチオピアの公用語]・英語(むろん日本語字幕あり)/35mm/140分
6月18日(土)~シアター・イメージフォーラムにて公開


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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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