なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『ニーチェの馬』

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またまた恐るべき映画を見た。
一生忘れることのない映画だ。
まさに映画にしか成し得ない表現であり
映画の極北とも言うべき歴史に刻まれる傑作である。

55年ハンガリー生まれのタル・ベーラが監督と脚本を手がけて最終作と表明する映画。
ジム・ジャームッシュも熱狂するという映画監督だが、
7時間半の超大作『サタンタンゴ』(91-94年)でも知られている人とはいえ、
今回の154分も長い。
だが長いことの必然性がある。
すべての時間に命をかけている。
命が刻一刻とゆっくり表情が変質していくかのようだ。

原題は“The Turin Horse”。
ドイツの哲学者ニーチェが1989年にイタリアのトリノで鞭打たれて疲弊した馬を見つけ、
駆け寄って卒倒したまま精神が崩壊したという逸話にインスパイアされて作られたことに基づく。
ニーチェのニヒリズムが呪いと祈りのように取り憑いているモノクロ映画だ。

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一本の木だけが目に映る他は周りに何もない荒野に住む
農夫の父親と娘の6日間を切り取った物語である。
いわゆる現代文明から隔絶され、
ほとんどアバラ屋の家の室内には電気もガスも水道も電話もない。
他の登場人物もほとんど出てこない。
父娘の会話は「食事」「寝る」といった程度の必要最小限のみで
親子の背景がわかる話はない。

絶えず暴風が吹き荒れている。
砂塵が舞う中で朝起きて娘は家の近くの井戸でバケツに水をくみ、
父娘は馬小屋から馬を引き出して馬具を取り付けて農作業の準備を行なう。
馬の世話も日課であり、
右腕の自由が利かない父親の着替えを朝晩行なうのも娘の日課。
すべてが日課である。
食事はいつでもコブシ大のジャガイモをゆでたやつ一個だけ。
朝から晩まで現在過去未来それだけだ。
いつからこういう生活が続いているのか想像するだけで恐ろしくなる。

毎日毎日同じことの繰り返しのようで微妙に違っていて、
カメラ・アングルなどを工夫して見せるから飽きさせない。
父親は左手だけで薪割り。
娘は洗濯や裁縫の手作業。
と同時に退屈な日常に侵入するかのように、
たった6日間でもハプニングが起こる。
つつましやかな生活を送っていようが平穏なんてないとばかりに。

ニーチェ_サブ2

“変節したニーチェ”の分身みたいな人物も焼酎を求めて父娘の家を訪れる。
だがその男がマシンガン・トークで吐く能書きだけで地に堕ちた“ニヒリズム”は
日々の生活を送る以外に何もない父娘にとっては何の効力もない。
あまりにも寡黙なシーンが続くだけにこの場面はコントラストで言葉が異様に目立つが、
もっともらしい頭デッカチな言葉は無力でしかないみたいにも映る。
セリフの意味性に頼らずに映像と響きで物を言う映画だから。

別の日には、
井戸にたかっていたから注意しようと出向いた娘をさらっていこうと試みた集団に
父親が逆上して追い払うシーンもある。
連中の一人が娘に対して「悪魔のような目だ!」とのたまうセリフは、
言葉数が極めて少ないこの映画の中でのキーワードの一つである。

その日以降に馬が飼い葉を食べなくなったと同時に井戸が枯れて生活できなくなると悟った二人は、
暴風の中で新しいアバラ屋への移住を余儀なくされる。
そして“最期の日”、
暴風は止んで嵐の後の不気味な静寂の中、
ともし火が言うことを聞かず娘はジャガイモが喉を通らず、
“終末”に向かってすべてがフェイド・アウトしていく。


アレクサンドル・ソクーロフ監督の昔の作品も思わせる緊張感である。
長回し撮影を多用したエロチックなほど陰影に富んで彫りが深いフィルムの質感のモノクロ映像。
暴風の音を絡めつつ静謐な音を活かしたサウンド。
極端なほど淡々としているからこそ強烈な映像力と聴覚を襲う静謐な音響のすべてが
極端にシンプルな脚本に永遠の命を吹き込んで重厚な空気感を増幅している。
湿った情緒をストイックなまでに削ぎ落としている。
だから覚醒させられる。

ミニマルな構成とミニマムなリズムに貫かれた音楽的な映画でもある。
終始極度にスロー・テンポで暗くて重くて死にそうになるモノクロ映像の圧迫感が凄まじい。
これは“フューネラル・ドゥーム(funeral doom)”と呼ばれるバンドそのもの。
これはdepressive(鬱)ブラック・メタルの佇まい。
ちょっとアレンジを変えたらブラック・メタルになるであろう静かな曲が音楽に使われているのも、
BURZUMなどのバンドとニーチェとの関連性を思えば自然なことである。
というわけでもちろんJOY DIVISIONのイメージとダブる。
すべてが葬送みたいな映画だから。

ニーチェ_サブ3

終盤に嵐が去る。
だが“世の中が晴れ”になっても気が晴れるのか。
明るさに取り囲まれることで鬱が深く加速する人間もいる。
親子二人に笑顔がない。
閉塞の中で生まれ育ち、
思い出もないから喪失感もない。
希望も絶望もヘッタクレもない。
この家族は毎日を生きているだけでも楽しいのか。
この娘はなぜ悪魔みたいな目なのか。
しあわせを体感したことはあるのか。
暴風に蹂躙される外の様子を所在なさげに窓から見る娘は何を思うのか。
背負わされたものから一生逃れられない心象を綴るかの如き深遠な映像力により、
この娘にとって“絆”だの“家族”だの“一つ”だのは重い鎖でしかないように思えてくる。

諦観を突き抜ける凄みで圧倒する父娘の好演も相まって、
ニーチェに引っ掛ければまさに“善悪の彼岸”である。
手垢にまみれたヒューマニズムから解き放たれ、
永遠に消えることのない異物感が心の奥底にはらまされる。
死にそうな作品であればあるほど光が見えてくる人間もいる。
これは“希望”の映画だ。

必見。


★映画『ニーチェの馬』
2011年/ハンガリー=フランス=スイス=ドイツ/154分/モノクロ/35mm/1:1.66/ドルビーSRD
2月11日(土)より、シアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー。
http://www.bitters.co.jp/uma/


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コメント

この映画で この字数を うめた 行川さんが すごいことがわかった
「葬送」の文字をつかえるところなんか 脱帽
行川さんの宣伝がいいのか こういう時代だからなのか
人が多くて 大変だった
紳士淑女の衣をまとった 嵐のマナーを 詰め込んだ人々が 空間をうめていた あの種の人間が 一考するなら 映画の闇が 一光に変わると 信じたい

そうそうさん、書き込みありがとうございます。
偶然にもHNの読みが同じの「葬送」はフューネラル・ドゥームな音楽に通じるところから引き出した感じです。説明的な言葉に頼らない映画のほうが、逆に言葉が湧いてきます。
けっこう話題になっているようですね・・・・イメージを広げさせてくれるそうそうさんの終盤の言葉で状況が想像できて考えさせられます。

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行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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