映画『フェイシング・アリ』

60年に18歳でリング・デビューして81年にリングから引退した、
最も有名な米国のヘビー級ボクサーのモハメッド・アリにまつわる2009年のドキュメンタリー映画。
むろん現役当時のアリは随所で登場するが、
あらかじめお断りしておくと、
パーキンソン病と闘っているために引退後のアリの姿はほとんど映し出されない。
ウガンダやチャドなどのアフリカの問題をテーマにした映画で知られる
ピート・マコーマック監督ならではの視点で政治的/社会的な影響力にも焦点を当てつつ、
アリの対戦相手にじっくりと話を訊く手法が採られている。
だから全ボクシング・ファン必見!なのは言うまでもないが、
CRO-MAGS以降のスピリチュアルな武闘派ハードコア・バンドとの接点も多い映画で、
ボクシングにあまり関心がなくても年柄年中“飢えている人”の心臓をマキシマムに震わせる。
マニアがウンチクを垂れるためでしかない内向きのドキュメンタリーものとは一線を画し、
普遍的にアピールする映画なのだ。

<対ヘンリー・クーパー1963年>
ぼくはアリをテレビでしか見たことがないが、
確か74年のジョージ・フォアマンとの試合は見ていて、
あと76年のアントニオ猪木との異種格闘技戦はやっぱり見ている。
ボクシングはプロレスのような“自由”がなく
タイトなルールの中で試合が行われるところに惹かれる。
あくまでもタイマン勝負。
集団になんてならない。
大半のスポーツと同じくだらしない肉体はさらさず研ぎ澄まされたボディで本番に臨むわけだが
とにかくストイックでないと戦えない格闘技だから
ぼくにとっては最もギリギリ感が高い。
特にヘビー級のボクサーは打たれる力がハンパじゃないから頭をはじめとしてダメージが大きく、
アリが抱える“障害”もその影響ありという説も少なくない。
そこも含めてリング上では卑怯な手は一切使えぬ拳のアタック感とフットワークのリズムの勝負で、
ボディに留まらず様々な贅肉を削ぎ落とした真剣勝負の美学も汗臭く光る。
話を戻すと原題は『Facing Ali』。
モノクロ映像も含むアリの現役当時のリング上での勇姿と“トーク”シーンを交えながら、
アリに“立ち向かった”重要なボクサーの談話をふんだんに盛り込んだ構成になっている。
その対戦相手の中から抜粋して撮り下ろした10人は以下のとおりだ。
ジョージ・フォアマン
ジョー・フレージャー(RIP)
ラリー・ホームズ
レオン・スピンクス
ジョージ・シュバロ
ケン・ノートン
ヘンリー・クーパー(RIP)
ロン・ライル(RIP・・・1975年ラスベガスにおける一番上の画像参照)
アーニー・シェーバース
アーニー・テレル
<注:“RIP”表記の3人は日本公開されるまでに他界している>
病気も患っていて談話をとることも難しくなった思われるアリを“代弁”するような形で、
ある意味本人以上にアリに向き合った彼らの話で本人が語る以上にアリが抉り出されている。
必ずしも本人が“真実”を語るとは限らないのが世の常なのである。

<対テレル 米ヒューストン 1967年>
もう既に取り上げられ尽くされているからか、
アリの生い立ちや結婚などのプライヴェイトな面にはほとんど焦点が当てられていないが、
アリが政治や社会とどう向き合ったかは最低限押さえられている。
今よりも差別が激しかった黒人問題とベトナム戦争に対峙した60年代の話である。
ネーション・オブ・イスラムやマルコムXと関わってイスラムに没入した結果、
“カシアス・クレイ”はリング・ネームだけでなく本名までイスラムな名前の“モハメッド・アリ”に改名。
ベトナム戦争に中指を立てて徴兵を拒否してボクサーのライセンスを停止され、
脂の乗り切った時期に3年間のブランクも作るもアリは70年に不死鳥の如く蘇る。
対戦した上記10人の元ボクサーたちの目を通してアリが描かれた映画であるが、
彼らも政治的/社会的な問題意識が多少なりともアリと共振していたから自然な流れになっている。
実はそこが本作の肝。
10人の元ボクサーたちの人生がアリとの対戦を軸に自分の人生を克明に振り返える語りが、
アリを炙り出すからだ。
そのほとんどが黒人で、
そういう面でヒーロー視していた者も多いが、
自分の家族の話などから察するにアリよりもハード&ハングリーな生活環境で生きてきた者が多く、
ヴィジュアルも含めて恵まれたアリに対する“反骨”の思いも随所で噴き出す。

<対フレイジャー第3戦 1975年フィリピン・マニラ>
アリは“ウルトラ・ビッグマウス”のマシンガン・トークでも知られているが、
そういう点では影響下にある亀田興毅が非常にいいヤツに思えるほど不遜極まりなく、
容姿などもターゲットにした暴言罵言の連射で対戦相手のプライドも人格も侮辱した。
「いつか黙らせてやる」と半ば憎しみの思いを拳にぶつけて倒した者もいる。
というわけでドキュメンタリー映画に多い気持ち悪いほどの関係者の絶賛と美談の嵐では終わらず、
格闘ものならではの緊張感が気持ちいい。
むろん本人が見る可能性も大だと事前にわかっていてみんな発言しているわけだが、
それでも抑えきれない本音のジャブの連打とストレートを打ち込む。
1ラウンド3分のリングの上での真剣勝負と同じく、
慣れ合い無き“個vs個”の対峙こそがリアル・コミュニケーションなのである。
殺意にも似た憎しみを一時的に抱いたとしても、
いや、だからこそディープな敬意も生まれ得る。
登場するライバル10人すべて“アリが居たから今の俺がいる”という気持ちを吐く。
そのツラ構えはみな不敵なほど美しい。
アリのリング外での奔放な発言は基本的には“俺様!”なアリの性格によるものと思われるが、
力まかせの単細胞ではなかったリング状での緻密な戦法と同じくアリの戦略の一つである。
“蝶のように舞い、蜂のように刺す”と言われたアーティスティックですらあったリングでの動きも
そんなトークと連動していたわけで、
談話を取った10人との対戦をはじめとして試合の数々もポイントを押さえて堪能できる。
プロボクシングでは最重量級のヘビー級ボクサーたちならではの
拳の一振り一振りがド迫力のリング上での肉弾戦はリズミカルで、
映画館のスクリーンで見る価値大。
フォーク・ソングやオルタナにはできないヘヴィ・ロックやエクストリーム・メタルの力に通じる、
頭デッカチを一瞬で吹き飛ばす有無を言わさぬ問答無用の強靭な肉体的パワーを感じるのだ。
そういうリズミカルな彼らの動きとトークの背後で流れる音楽も特筆したい。
エンディング・テーマの作曲にも関わってミュージシャンの一面も持つ監督ならではのセンスで、
あくまでもささやかにバックで流れる音楽はジャズが中心だが、
リング上でのアリのスピード感とスウィング感と共振していて秀逸である。
マルコムXなどの例外はあれど、
アリをはじめとして登場するのが巨体のヘビー級ボクサー・オンリーの映画にもかかわらず、
いや、だからこそテンポがよく映画全体のリズムが気持ちいい。
ヘタしたら説明の羅列に終始するドキュメンタリー映画こそリズムが大切なのだ。
周りとつるまず誰がなんと言おうと知ったこっちゃないFuck you,I don’t careアティテュード。
インスパイアされる。
★映画『フェイシング・アリ』
2009 年/米国・カナダ/101 分/英語
8月25日(土)より、渋谷アップリンク、銀座テアトルシネマほか、全国順次公開。
© MMIX NETWORK FILMS INC.
http://www.uplink.co.jp/facingali/