大谷氏/とっちゃん 8月15日 at 阿佐ヶ谷・ライヴ小屋 Next Sunday
2012-08-17

富山県在住のシンガーソングライターの大谷氏ととっちゃんのライヴに行ってきた。
高円寺拠点のシンガーソングライター・青木タカオの企画ライヴで手作りチケットもうれしい
“地下生活者の夜 第189話”への出演。
当人としては好きだから続けているだけなのかもしれないが、
インディヴィジュアルな姿勢でコンスタントにライヴと作品発表を続ける生身の人間ならではの
骨っぽく痛快なパフォーマンスに目が覚める夜だった。
この晩は三角みづ紀との活動などで多彩な展開をしている
井谷享志が様々な“打楽器”で大谷氏ととっちゃんのそれぞれのステージに加勢。
まずはダンナの大谷氏(アコースティック・ギター)と灯心竹根(ピアノ)もサポートする中で、
とっちゃんのライヴからスタート。
とっちゃんは立ってキーボードを弾きながら歌う。
まっすぐだからこそいい意味でクリーンすぎず不揃いになる歌声が鼓膜に引っかかる。
ボブ・ディランの「I Shall Be Released」の日本語カヴァーが象徴するようにポジティヴ、
いや日本語で“肯定的な歌”と言うべき歌の数々。
目下レコーディング中というニュー・アルバムも楽しみにしたい。
しばしの休憩タイムをはさんだ後に
ボブ・マーリーの“Exodus”Tシャツをまとって髪を短く刈り込んだ大谷氏が登場し、
立ってアコースティック・ギターで弾き語る。
とっちゃん(ピアニカ)と井谷(パーカッション)の他にひなゆき(ピアノ)もサポートしたステージだが、
人間ってもんがぐんぐんぐんぐん見えてくる実にグレイトなライヴだった。
まずはMC嫌いのぼくをも引き込むトークが絶妙だ。
音楽以外のこういうところにも意識が表れるもんである。
仕事柄ふつうの人と会話する日々のためか大谷氏が話術に長けているというのもあるが、
押しつけがましい声と借り物の言葉で身内ネタや自慢話で時間の無駄遣いをするMCとは対極。
自分自身をちょいと切り開いたネタを自分自身の言葉で語る。
それがまた非常に珍味で、
商品名ゆえに問題があったにもかかわらずディレクターが上司を説得して
先月富山のNHKの番組でも歌われた名曲「セロテープ」をはじめ、
歌詞のネタがなんでおもしろいかも納得できる飄々としたピリ辛トークなのだ。
説明書通りに作るプラモデルが苦手で自由に作れる粘土工作が得意だったという子供の頃のエピソードに、
大谷氏の本質が表れている。
禁じ手無しのネタを持ってくるちょいフリーキーな言語感覚の歌は
メインストリームともアングラとも接点を持ちつつ、
既成の陳腐などちらにも属さぬ風来坊の強靭な無頼の歌である。
どんどんどんどん曲ができて止まらないらしく、
野球のバンドの構えのアクションを織り込んで歌った笑いとペーソスあふれる「バントの構え」、
大谷氏の社会批評性が滲み出た「ネットで検索」など新曲をどんどんどんどん披露。
昨年はセルジュ・ゲンスブールにハマっていた大谷氏が、
老人ホームで出張マッサージをしている仕事中にラジオから流れてきた音楽がきっかけで今年ハマっている
エチオピア音楽からの影響を演歌になる寸前の絶壁で歌うニュー名曲もやってくれた。
NHK Eテレの子供番組で是非やっていただきたい「木の歌」(注:筆者による仮題)は、
突然思いつめた顔から爆発して即興で披露した曲で一人演劇アクションも爆笑。
前述のNHKの番組のために東京でのライヴを撮影したにもかかわらず
破廉恥なパフォーマンスのためか放送禁止用語の歌詞のためか一曲も使えずディレクターを嘆かせた、
石川浩司(たま)との超絶ユニット・ホルモン鉄道のアナーキー・テイストもチラリと覗かせてくれた。
デリケイト&ピュア&ドラマチックなラヴソングもさることながら、
ナイーヴなプロテスト・ソングとは別次元の毒を秘めた我流の“メッセージ”の数々にも痺れる。
大谷氏も“3.11”以降に突き動かされて曲をガンガンガンガン書いていっているという。
だがユーモラスな中に以前から諦観すら漂う大谷氏は“免罪符”を必要としていない。
なぜならたとえフォーク・スタイルのライヴでも大谷氏はロックンロール以外の何物でもないから。
CDなどでの音源としては未発表で正確な歌詞を公表していないから
誤解を避けるために今は細かい分析はしないが、
いわゆる“3.11”以降を感じさせる世の中の歌の中で
最も謙虚で正直で強烈でダイレクトな歌を少なくてもぼくはこの晩ふたつ聴いた。
MCから察するに大谷氏も“みんなで一緒に手拍子を打って一つになる~”みたいなのが苦手のようで、
30年以上活動してきて様々な意味で大勢に飲み込まれないアティテュードの核もぼくは聴いた。
今年リリースした最新アルバムの11作目『微糖』に収めた曲もたくさん披露。
「ふくろうの森」と「夜の海あなたと泳ぐ」にも酔えたが、
イベントなどに呼ばれた時はやるけど東京ではあまりやらないという、
終戦記念日ならではの2曲もグッときた。
以前からのレパートリーであるまっすぐな純粋ピース・ソング「平和の祈り」と
“その「たやすさ」にヘドが出る”と人間のダークサイドをも歌う94年に書いた「傷痍軍人の歌」という、
いわば“光”と“陰”を一緒にやることで
おのれに対する厳しさも垣間見せる。
といってもライヴは愉快痛快奇々怪々そのものである。
ぼくの斜め前の席で終始ケラケラ笑いながら観ていた女性がいた。
てっきり大谷氏のライヴの常連さんと思って話しかけたら、
自分でも音楽を始めたばかりで何か面白いことをやろうとしている模索しているところで、
大谷氏のことをまったく知らずに面白そうだからこのライヴに来てみたという。
そういう一見さんをも得体の知れない吸引力と軽々と引き込むパワーに大谷氏は満ちている。
媚びず驕らず流されず黙殺せずありのまんま率直に歌う大谷氏。
頭デッカチやサンプリングなんかあっちいけとぱかりの体内のビートで歌い続ける。
仲間は大切にする。
だが必要以上につるまない。
ほのぼのした中で眼光鋭い大谷氏の強靭な肝に震えた一夜・・・なんだが、
物事簡単に楽しめないぼくのような人間をも楽しませる大谷氏、
やはり奇才である。
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