なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『バンコクナイツ』

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話題作『サウダーヂ』(2011年)に続く空族(kuzoku)の新作。
スタミナ満点ホルモンたんまりで、
ダシの効いた雑食人間どものまばゆい“臭気”をスクリーン越しに鼻から吸ってハイになり、
この映画のネタだけで一晩も二晩も飲み明かせ語れる濃密な大作である。
タイの首都バンコクをメイン舞台にその隣国のラオスでの映像も絡め、
政治的な要素も多少ナチュラルに滲ませつつ感情表現がデリケイトで、
バンコク歓楽街の店のナンバーワンのタイ女性と自衛隊出身の日本男性の“ラヴ・ストーリー”を中心に描く。

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バンコク歓楽街の日本人専門店でNO.1の女性ラックは
タイ東北部の地方イサーンからバンコクへ出稼ぎに出て5年が経った。
ラックが生活を支える大家族はタイ東北部でラオスと国境沿いのノンカーイ県で暮らしているが、
ラックは今は亡きアメリカ軍人だった2番目の父の息子の弟とは特に仲がいい反面、
実母とは確執が絶えない。
ある晩ラックは元自衛隊員の元彼のオザワと5年ぶりに再会する。

以上が物語の序盤だが、
場面が一種のモザイク状に絡まって“地続き”でふくらんでいき、
やがて研ぎ澄まされ収斂していくストーリーの自然な流れがまず見事である。
いくつものシーンがまぐわうことで次々と“新しい命”が産まれていく映画だ。
映画の終盤も観る人の想像の力を信頼し、
一人一人のイマジネーションで無数のドラマを展開させる締めになっている。
いつも言うように余計なお世話で説明しすぎの映画は人間の脳ミソを殺す。
スマホに代表されるように便利にしすぎて人間の肝を骨抜きにする“システム”と同じだ。
“シーンとシーンの行間”を感じながら楽しみたい。

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“楽園”がテーマの一つだが、
白黒つけることせずに政治/社会的な切り口もさりげなく溶かし込まれている。

タクシン派~反タクシン派~軍のクーデターや、
今も不敬罪が維持されている立憲君主制の中心で昨秋他界した国民のカリスマ・プミポン国王といった、
ここ数年のタイの政治状況は反映されてない。
会話から察するに70年代が舞台と思われるからだ
(余談ながら当時存在し得ないヒップホップ勢[田我流も出演]の出現も
一種の“タイムワープ”みたいなノリで気にならない)。

かたや様々なビジネスで進出しつつバンコクなどの国外アジアで“爆買い”する日本男性批評や、
ベトナム戦争~インドシナ戦争を絡めた米国欧州批評もさりげなく織り込んでいる。
“軍か!?出家か!?”を進路選択する立場の男性もいる彼の地の生活も映し出す。
とある主要人物がさりげなく吐いた“No Money, No Life”の言葉も深く響いてくる。

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グレイトな映画のすべてがそうであるように脚本以外も酩酊するほど魅惑的だ。
すべてに息づくたくましい生命力にぐいぐいぐいぐい引き込まれて持っていかれる。

現地の人たちを多数起用したというポーズ無しの生身の演技力に舌を巻かずにはいられない。
日本の人も含めてオフィシャル・サイトにさえ俳優の名前が載ってないのは、
一般的に知られている役者がほとんどいないからなのか。
でも、こなれてないことを強みにした懸命の本気で演技で勝負してすべての演者が自分の“地”で臨み、
演出に見えるほど“思想的な編集”が行き届いたドキュメンタリー映画の百万倍のリアリティで迫る。

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プリミティヴな映像力に痺れっぱなしだ。
シーンによって違う場のよどみや透明感や酩酊感までもしっかりと映像にし、
場に立ち込めた匂いや空気感も生のままスクリーンから漂ってくる。
オリエンタルな歓楽街シーンは過剰かつアナログなカラフル感のヴィヴィッドな色調で、
クサでキメているシーンはまったりダウナーな色合で、
手つかずで空気が美味そうな田舎のシーンは目が覚める鮮やかな色彩で映し出す。
モノクロでは時々そういうニュアンスの映像にも出会うが、
ここまで彫りの深いカラー映像もなかなかない。
猥雑と純が背中合わせの紙一重であることも表すかのように、
歓楽街と田舎を対比した作りも各々の本質を剥き出しにした淡く鮮烈なブレンドの色合に目が奪われる。

様々な視点で物事を捉えていることも反映したような小技を利かせたアングルや、
ときおり“シンボリックな映像”も入れる手法も観る人の意識をふくらませる。
店の看板や小物、車両、Tシャツも含めてディテールにこだわっているというか、
映像の枠内に映っているすべてが自己主張しているように見える。
映っている小物一つとっても無駄がなかった昔の名作映画群にも通じるセンスだ。

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生々しく粗削りの編集力も素ん晴らしい。
内容が詰まりまくった182分の特大ヴォリュームにもかかわらず無駄がない。
ゆるい時間で進みながらもストイックなほど引き締まっているから上映中まったく目が離せないのだ
ユーモアたんまりだが、
本質をごまかして薄めるように最近の日本映画でよく挿入される中途半端ゆえに幼稚なオフザケがない。
この映画のシチュエーションを思えば頻発しても不思議はない“エロ”に頼らず、
わざとらしいセックス・シーンで興ざめさせる映画とは別次元で人間と人間のまぐわいを描き切っている。
暴力にも頼らない。
生き物すべてが逃れられないがゆえに様々な表現にとって死は避けられないテーマになり得るが、
人間の“死”がこの映画にはほとんどない。
すべてそのへんのことを“売り”にしている映画と一線を画すことを意識しているかのようでもある。

とにかくエキセントリックな仕掛けや見せ方を一切してない。
すべてが素のまま。
“潔癖症”なんか知ったこっちゃない体力と精神力に裏打ちされた天然素材を活かし切っている。
誤解を恐れずに言えばこれは大人の映画である。
甘えがないのだ。

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場面転換が多いことを逆手に取ったかのように、
まったりしたムードにもかかわらずテンポがいいところも特筆したい。
いつも書くように映画そのものに命のリズムが宿ってこそ傑作になり得る。
人間のビートが映画の中で鳴っていないとダメなのだ。

脚本や映像だけでなくトータルな表現としてグレイトな映画だけに音声も言うこと無しである。
聞こえてくる音楽も映画全体のテンポに一役買っているが、
感情の押しつけみたいな使い方とは対極でおくゆかしく映像と寄り添っている。
録音/音楽担当は山崎巌とYOUNG-G。
YOUNG-Gは『サウダーヂ』絡みでstillichimiyaのトラック担当として知られている人だ。
山崎は初期のGHOST(日本)やOVERHANG PARTY、OUT TO LUNCHでドラムを叩いてきたが、
その頃から録音技師としても活動していて『国道20号線』(2007年)から空族作品に関わり続け、
彼が今やっているバンドのSuri Yamuhi And The Babylon Bandの曲も今回提供している。
民謡やスポークンワードをはじめとして挿入される音楽はもちろんのこと、
街角の音楽、ラジオの音声、雑踏の音声なども場の気温を高めている。

日本語ともに多用されているタイ語の響きも不思議な情緒へと誘うが、
方言や人物のキャラを反映させたのかのように、
登場人物によってはセリフが訛りを含めた感じの日本語字幕になっているのもお見事だ。
だからこそ一層、生活と人間が感じられる“日本版”映画に仕上がっている。

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生活の臭気と人間の香気がリアルに現像され、
ほろ苦く甘美な味わいが観ているうちに心のなかで広がっていく映画だ。
観終わったあと、ほのかにしあわせな気持ちになる。


あ、そうそう、
延々続く膨大な固有名詞に映画の興奮を冷まされがちなエンディング・テロップ部分も、
目が離せない作りになっている。
ぬかり無し。


★映画『バンコクナイツ』
2016年/日本・フランス・タイ・ラオス/182分/DCP/配給:空族
2月25日(土)からテアトル新宿ほか全国順次公開。
©Bangkok Nites Partners 2016
http://www.bangkok-nites.asia/


映画『クリミナル 2人の記憶を持つ男』

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大御所ケヴィン・コスナーが主演を務めて
ヴァイオレントな行動の中で感情を押し殺し震わせるド迫力かつ重厚な演技を見せ、
ロンドンをメイン舞台にした英国/米国の合作映画。
スパイものや国際政治ものでもあるし派手なアクション・シーンやミサイル発射/爆発シーンも含むが、
一般社会とはかけ離れた人間でも持ち得る家族愛を嫌味なく絡め、
人物の感情の微妙な揺れをしっかりと描きこんだエンタテインメント人間ドラマだ。
俳優全員名演で、
監督は『THE ICEMAN 氷の処刑人』(2012年)を手掛けたアリエル・ヴロメンである。


CIAロンドン支局のエージェントの男が重大な極秘任務の最中に死亡した。
彼は米軍の核ミサイルさえも遠隔操作可能なプログラムを開発した謎のハッカーの居場所を知る唯一の人物だった。
巨大なテロを阻止するために謎のハッカーを捜し出す最後の手段は、
殺されたCIAの男の記憶を脳手術によって他人に移植すること。
まもなく処刑される人間ゆえ手術に失敗しても問題無しみたいにその移植相手に選ばれたのは、
幼い頃に父親から受けた虐待が原因で人間的な感情や感覚を失ってしまった凶悪な死刑囚ジェリコ。
手術は成功するが、ロンドンの街へ逃走したジェリコは、
我が物顔で極悪な自分自身と正義感あふれるビルの“2人の記憶”の間で引き裂かれながら、
テロリストとの壮絶な闘いに巻き込まれていく。

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序盤で派手な単細胞アクション映画と思っていた僕もまもなくぐいぐい引き込まれていった。

失うものは何もねえ!どいつもこいつもブッ殺してやる!ばかりに殺伐とした天涯孤独の極悪男が、
妻と娘の愛に包まれた生活を送っていたCIAの男の記憶を脳に埋め込まれ、
二人の人格の間で葛藤と軋轢を繰り返して苦悩する姿がこの映画の肝だ。
親に感情を殺されて憎しみに満ち満ちた人間の精神の苦闘が、
粗暴極まりない言動の中から命を削って紡ぎ出すように描かれていく過程が生々しい。
いわゆる更生の類いとは違うが、
いわゆる更生もおのれのはらわたをズタズタに切り裂くぐらいの覚悟がないとできないとも思わされる。
そこに世界情勢を一変させる政治的な行動や人間同士が向き合い“ふれあい”を絡めていく
スリリングかつエモーショナルな展開に目が離せなくなる。

計算高いうわっツラのやさしさなんてなんの意味もない。
極悪男のハートに火を点けたのは、
極悪男の脳に記憶を埋め込まれた男の妻のギリギリの行動もさることながら、
極悪男の心が実父のものと悟って極悪男を父親のように慕う娘の無邪気な行動が大きい。
ここから先のストーリーを書くのは野暮ってもんだろう。

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2010年代に入ってまた冷戦化しつつある米国とロシアをはじめとする冷厳な国際関係に加え、
やさしさとエゴが殺し合う冷厳な人間関係も炙り出す。
この映画の主人公が一匹狼というところも大切だ。
信じる者がいない人間は、
仲良く手を取り合って“共犯者”になって繰り広げる“愛と平和の大合唱”なんか知ったこっちゃない。
でも調子いいこと言っていても結局は自分の身の回り30センチ以内が良ければそれでいい“善人”より、
百万倍誠実だ。

全員死ね!と思っているような人間が世界を救うこともありえる。
命がけであれば愛が世界を救うこともありえる。
そんな幻想を信じてみたくもなるストロング・スタイルの映画だ。


★映画『クリミナル 2人の記憶を持つ男』
2015年/イギリス・アメリカ/113分
ゲイリー・オールドマン(『ダークナイト』『裏切りのサーカス』)
トミー・リー・ジョーンズ(『ノーカントリー』『ジェイソン・ボーン』)
ライアン・レイノルズ(『デッドプール』)
ガル・ガドット(『ワンダーウーマン』)
2月25日(土)より、新宿バルト9ほか全国ロードショー。
© 2015 CRIMINAL PRODUCTIONS, INC. All Rights Reserved.
criminal-movie.jp


DVD『我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー』

『我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー』


画家を目指していた二十代頭のヒトラーを描いた当時日本未公開の2009年の劇映画。
注目を集めやすい“不幸”や“悲劇”を紹介するだけのドキュメンタリーと同様に、
“ネタ”に頼っているだけでイマイチのヒトラー/ナチス関連映画も多い中、
これは映画として見応え十分の佳作だ。

ヒッチコック監督作の『私は告白する』の脚本を手掛けたジョージ・タボリの戯曲が原作で、
もちろん100%事実とは言えないだろうが、
ヒトラーの一時期を丁寧に描きこんでいて説得力がある。


画家になる夢を追い、
美術アカデミー入試のため1910年にオーストリアのウィーンへとやってきた青年アドルフ・ヒトラー。
ホームレスのための安い下宿所に住むことになったヒトラーは、
ユダヤ人商人シュロモと共同生活を送ることになる。
豊富な知識を持っていたシュロモと知識に貪欲だったヒトラーは意気投合し、
多くの時間を2人で過ごしていたが、
美術アカデミーの試験に落ちたヒトラーは橋の上から自殺を図る。
シュロモの助けもあり自殺は未遂に終わったが、次第にヒトラーは政治に傾倒していくようになっていく。


家庭環境の話も交えながら“我が闘争”へと進むに至るヒトラーの思想と人格形成の源を炙り出す。

『コーヒーをめぐる冒険』や『ピエロがお前を嘲笑う』で知られるトム・シリングも好演で、
眼光鋭く痩せこけたヴィジュアルで笑顔を見せることなく当時から冷酷オーラを発し、
神経質そうな若き日のヒトラーをリアルに演じている。
繊細さも気性の激しさエクストリームで権威に従わず、
傲慢で強気で潔癖で自信家で完全主義者。
シュロモは“無名時代”から危険人物と見なされているそんなヒトラーを擁護してきているが、
そんな爺さんと小悪魔な女の子との三角関係もこの映画の肝。
ヒトラーにふさわしく合理的でラフな展開ながら感情の機微が細やかに表われているところも大切だ。

若い人間がヒトラーと女の子以外ほとんど出てこない映画ながら登場人物は多いが、
シュロモ以外の他の老人をはじめとする他の人物たちも丁寧に描きこまれているのもポイント。
彼らもヒトラーをしっかりと浮き彫りにしている。

場面転換が多くてテンポがいいからぐいぐい引き込まれている。
編集のセンスがいいから目を離せないのだ。
映画もリズムが大切だとあらためて思わされ、
けっこう躍動的なシーンが少なくないが、
いわゆる刺激的な映像はあまりなくて落ち着いたトーンに覆われている。
太陽がまったく当たらず陰鬱な色合い映像が閉塞の空気を醸し出している。

最近だと『帰ってきたヒトラー』も手掛けたエニス・ロトホフが担当している音楽もヨーロッパ臭くて的確。
時にユーモラスで欧州民謡やクラシックな音楽もふんだんに使うが、
うるさくなく感じさせずにシーンごとの感情をさりげなく浮き彫りにしていく。

ヒトラーが一種のヴェジタリアンということをほのめかす“とある生々しいシーン”を
あえて随所に挿入しているのも興味深い。
ヒトラーが“flesh嫌悪”にも見える。
そういった小ネタに注意して観るとまた深く楽しめる映画だ。


★『我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー』(トランスフォーマー TMSS-356)DVD
2009年ドイツ、オーストリア、スイス/ 伝記、ドラマ、スリラー /原題:Mein Kampf
【111分 / カラー / 片面1層 / 画面:16x9ビスタ / 音声1:ドイツ語ステレオ 字幕1:日本語字幕】
© 2009 Schiwago Film / Dor Film / Hugofilm


映画『ミューズ・アカデミー』

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1983年に『ベルタのモチーフ』で長編映画デビューした、
1960年スペイン生まれの奇才ホセ・ルイス・ゲリン監督の新作。
大学教授と取り巻く女性たちが“ミューズ(女神)”を浮かび上がらせる映画だ。

僕が観た限り極端にエキセントリックな手法を使っているわけではないが、
ゲリンは映画の常識を逸脱したユニークな作品で観客をスクリーンの中の世界に引き込む映像作家である。
『工事中』(2000年)や『ゲスト』(2010年)をはじめとして特異なドキュメンタリー作品が多く、
『シルビアのいる街で』(2007年)などのフィクション映画もドキュメタリーのように撮るゲリンならではの、
ノンフィクションとフィクションが入り混じったような作りで映画の可能性をまたまたさりげなく探る問題作だ。

余計なお世話で映画をぶちこわす挿入音楽の類いは無し。
自然音を尊重した作りになっており、
中盤以降にはゲリン特有の研ぎ澄まされた“音響彫刻”の響きも楽しめる。
英語を使ってないこともポイントで、
スペイン語とイタリア語とカタルーニャ語のリズミカルな連発が“南欧音楽”の響きになっている。

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現代の“ミューズ像”を探るべく、
イタリア人の老教授がスペインの大学で開講した“ミューズ・アカデミー”がメイン舞台で、
授業で展開される話と登場人物たちの私生活の珍妙なリンクがクールに描かれる。

「我々は言語を避けられない。人間は言葉の囚人だ。
コミュニケーションも思考も、何より生活の向上も言葉なくしてはできない。
言葉から抜け出すことはできない」
と教授が言うように言葉のウェイトが高い映画だ。

教授の講義はダンテの『神曲』などの文学が素材の中心になっており、
ミューズがテーマゆえか女性が大半の生徒との白熱したやり取りが教室内で行なわれるが、
教授と生徒の二人だけの会話や生徒同士の会話にもそういう知的な内容が多い。
文学に絡めて突っ込んだこういう“愛の話”が全部すんなり一発で理解できる人はそうそういないだろう。
特に序盤はそういうシーンが多くて僕もときおり面食らい困惑もしたが、
言葉数が多くて速いトークの話のすべてに付いていく必要ないし、
適当に“わかった気”になりながら観ていくうちに気がつけば“ゲリン・マジック”に引きずりこまれている。
何しろ前半と中盤とで後半の空気感が違い、
時間が経過するにつれてスクリーンから漂う“映画の匂い”がどんどん人間臭くなっていくのだ。

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文学になくてはならない言葉は“愛の現場”でも大切と痛感させられる映画で、
だからこそあえて嫌というほど他のゲリン作品の何倍も言葉の洪水で迫る。

ただ文学的な分析をすることも可能な映画だろうが、
昔ダンテの『神曲』をちょろりと読んだ程度の僕ではそうもいかない。
「文学は女性を神にしてしまった」とか“なるほど・・・”と思う話もあったりはする。
「書かれた言葉の力は計り知れない」「文学なしの恋はありえない」と説きつつ、
「(文学より)彼との経験のほうが鮮烈だった。そこには小説のすべての要素があった」と言う
文学よりリアルな女生徒の現実の話も妙に納得できたりもする。
言ってみれば高尚と通俗のギャップというか高尚と通俗は表と裏というか、
ふだん高尚なトークをしていても“やることやってる”みたいに下世話な楽しみ方もできる映画だ。

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今回も監督・脚本のみならず撮影まで手掛けるゲリンならではの独特のカメラ使いも健在だ。
会話のウェイトも高い映画だから顔に狙いを定めているが、
大学構内での撮影はオーソドックスながらトークをしてない生徒たちの顔もしっかり映し、
教室内の雰囲気を真空パックしている。

ゲリンお得意のストーカー的な“盗撮”映像も効果的。
『文春』や『FRIDAY』顔負けでカメラが教授のプライベートを追っかけているかのように、
妻と話している自宅や生徒と一対一で話している自動車内などをガラス越しに撮り、
覗き趣味っぽい映像が大切な会話を盗み聞きしている気持ちになって生々しいのだ。
一方で大学から離れて羊飼いの農場や林の中などの野外での撮影は、
鮮やかな色合いが光って彫りの深いゲリンならではの映像である。

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“現代のミューズとは?”をテーマの一つみたいに置きつつも、
大半の映画と同じく『ミューズ・アカデミー』も愛と人間を炙り出している。
“取り巻き”や“追っかけ”もいるという教授と女生徒の“関係”や
教授とその妻の冷めた夫婦関係の静かなる緊張感が肝で、
軋轢と嫉妬が人間関係をエキサイティングにするのはインテリでも学がない人間でも一緒ってことだ。
もちろん想像力を大切にした映画だから性愛の類いはモザイクではなく“文学色”でぼかされている。

講義は真面目だし教授と生徒とのやり取りも真剣ながら、
真面目であれば真面目であるほど真剣であれば真剣であるほど、
ゲリン一流の“目くらまし”が効いてくる。
いわゆるストーリーを追う映画とは一線を画すが、
場面があっちこっちに飛んでいるようでゆるやかな流れができているのもゲリンならでは。
日にちや時間で区切るテロップが出て場面が変わる手法も追跡レポートみたいで面白い。

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ちょっとした会話にもゲリンのさりげないユーモア・センスが滲み出ているし、
映画が進むにつれて下世話になっていく展開も可笑しい。
ミューズと普通の女性の違いなど、
ウケを狙っているわけではなくても真面目な顔して説く教授には失笑を禁じ得ない話も多い。
いい味を出している奥さんが「愛って何?」と書斎で尋ねた時の教授の“迷答”には吹き出してしまった。
聡明な女生徒たちや妻に攻め寄られてダジタジで、
文学的な理屈をこねて調子のいい言い訳で防戦する教授が憎めない。
“嬲”という漢字の“男”“女”を入れ替えた調子で“女と男と女”が描かれ、
だんだん女性たちから教授が嬲られていくようにも見えてくる。

こういう映画にふさわしくない“ファック・ユー!”アティテュードであえて書かせていただくと、
“何言ってんだかわかんねーけどこの教授もただの女好きのスノッブじゃねーの?”
なんて下卑た言葉の一つでも捨て台詞に吐きたくなる面白さ。
観終わってみれば、
映画の中でとある女性が放った「報われぬ愛も笑い飛ばせる」という言葉が妙にしっくりくる。
映画の締めを飾る教授の講義も白々しくて素敵だ。


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なお同時期に並行して“ミューズとゲリン”と題されたゲリン監督特集も開催される。
1983~2015年の11作品が上映され、冒頭に挙げた4作品が特にオススメだ。


★『ミューズ・アカデミー』
2015年/スペイン/92分/デジタル/スペイン語、イタリア語、カタルーニャ語
©P.C. GUERIN & ORFEO FILMS

★『ミューズとゲリン』ホセ・ルイス・ゲリン監督特集上映

以上、 2017年1月7日~1月29日まで東京恵比寿・東京都写真美術館ホールにて公開。
以降、各地で公開。
配給:コピアポア・フィルム
http://mermaidfilms.co.jp/muse/


映画『貌斬り KAOKIRI〜戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』

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『シャブ極道』(1996年)や『竜二Forever』(2002年)で知られる細野辰興が
製作・プロデュース・脚本・監督を手がけた映画。
舞台で繰り広げられる演劇そのものと上演中はもちろんのことその前後の役者たちを骨まで描き、
美男俳優・長谷川一夫の“顔斬り事件”(1937年)をモチーフに、
“生か死か”の二者択一を迫られる役者たちのギリギリの気合いを豪胆に炙り出した力作である。


“顔斬り事件”の映画化を試みる監督やプロデューサーなどが会議を行なううちに、
その事件の謎を脚本にすべく自分たちで数パターン演じてみようということになっていく舞台劇を、
興行の千秋楽で演じる役者たちの物語。
本番前のピリピリした様子から本番中の緊張感を経て終演後の達成感までを描く。
突如役者が一人現れず
突如役者が離脱し、
実際に使うのは切れない偽物のはずなのに斬れる本物の凶器が舞台に小道具として“流出”するなど、
台本の予定調和をデストロイ!する“ライヴ”ならではの“アクシデント”も盛り込まれる。

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2015年1月に東京・高円寺で行なわれた客入りの舞台「スタニスラフスキー探偵団」を大きくフィーチャーし、
一種の“劇中劇”に留まらず“劇中劇中劇”まで見せる構成で
フィクションとノンフィクションが入り混じったような作りながら、
ストーリーはいたってシンプル。
“筆致”はあくまでもハードボイルド。
目が離せない。

主演の草野康太と山田キヌヲをはじめとして、
とにかく演技を超えた役者たちの気合いに引き込まれていく。
まさにこれぞ役者魂だ。
必死の佇まいは出演者たちのリアルな姿でもあるから、
この上なく肉体と精神に生々しく迫ってくる。

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これはいわゆる映画というフォーマットで人々に提示される作品だが、
お客さんを前にしたライヴな表現の場の舞台が“舞台”のシーンがほとんどだ。
いわゆる撮り直しが利かない一瞬一瞬にケリをつける表現者としての姿を観客にぶつけている。

音楽にたとえると、
一般的な映画やテレビ・ドラマなどがレコーディング作品だとしたら、
舞台の演劇はライヴだ。
テレビ・ドラマでは甘さを感じる俳優でも一発勝負の舞台に立つと見違える演技を披露するケースも多い。
声がでかいバンドマンのヴォーカルでも劇舞台でセリフを言うと声が通らないこともあったりして、
やはり発声方法と気合が役者は大切だとも思わされる。
それぐらい真剣勝負な舞台の“念”が充満している映画である。

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この映画はほぼ全編一発勝負だ。
死ぬか生きるかであり、
自分自身を自分で追い込んでいくことで尋常ならざるエナジーをおのれの中から絞り出そうともする。
役者が生死ギリギリの限界点で肉体と知がまぐわう原始の表現者であることも露わにする。
長谷川一夫のように役者の“命”の貌を斬られる、
もしくは貌を斬って血を見るぐらいの覚悟で役者に臨む。

<役者やめますか? それとも人間やめますか?>
というこの映画の宣伝コピーがあるが、
言い得て妙である。

ミュージシャンと同じく役者は必ずしも“特権階級”ではないが、
“本物”であるためにはかなりの覚悟が必要。
“禁断の果実”を食べたら、
もうふつうの人の生活は送れない、
“カタギ”にはなれない。
もう一般市民には戻れない。
役者になることの敷居が高かった時代は映画などのクオリティも近寄りがたいほど深く高かった。
今でもそういう人たちが少なからず生きていることも示す。

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“やさしすぎる”とも言われる性格が災いして俳優からプロデューサーに転じるも、
“パートナー”の男優に刺激されて“人でなし”と言えるほどの“悪魔の心”を呼び戻され、
まさに“真剣”での“勝負”を挑んで舞台の上で一人の女性が“女優復活”を遂げるシーンがクライマックス。
その時間に流れる内山田洋とクール・ファイブの「恋唄」も、
この“最高の恋愛映画”にふさわしい。


<人は“あなた”という役を降りることはできない。>
この映画のキャッチ・コピーのひとつでもある名言だ。


★映画『貌斬り KAOKIRI〜戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』
2015年/カラー/16:9/5.1ch,2.0ch/DCP,BD/143分
http://makotoyacoltd.jp/kaokiri/press/


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プロフィール

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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