なめブログ

パンク/ハードコア/ロックをはじめとする音楽のほか映画などにも触れてゆくナメの実験室

映画『ドント・ルック・バック』(ボブ・ディランのドキュメンタリー)

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1965年の4〜5月の英国ツアー中のボブ・ディランを追ったドキュメンタリー映画。
アメリカでは1967年に公開されているが、
このたびデジタル・リマスター版による日本上映が実現する。
モノクロゆえに映像のポイントになっている黒の色合がくっきりし、
濃淡のコントラストが鮮やかで彫りの深い映像に仕上がっている。


監督は後にデイヴィッド・ボウイの映画『ジギー・スターダスト』も手掛けたD・A・ペネベイカー。
ただし、こちらはいわゆるコンサート・フィルムのみの映画ではない。
終盤は別として全体的にはライヴ・シーン(カメラ一台での“長回し”が基本)も映画の一要素で、
16ミリ・カメラひたすら回しっぱなしで撮ってポイントになる部分をピックアップしたかのように、
英国ツアー中のディラン周辺の様々な“画”を切り取って編集されている。
もちろんディランが中心でディランがたくさん映っていることは間違いないが、
追っかけの女の子も含めてディランを取り巻いた人たちも適度に挟み込んでいるのだ。
当時の英国での“ディラン現象”の記録とも言えるし、
ちょっとしたトラブルの類いも収めた“ディランの英国道中記”としても楽しめる。

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5作目の『Bringing It All Back Home』をリリースした数カ月後で
既にビッグ・ネームになっていた頃だが、
プロテスト・ソングのフォーク・シンガーソングライターという“いかにものディランのイメージ”から、
ネクスト・レベルに進みつつあった時期でもある。
スター性の高い研ぎ澄まされたルックスも相まって早くもカリスマ性を帯び、
いかつくて才気走った顔からは、
うかつに触れたら指でも切れそうなオーラすら感じられる。

23歳になる目前で既にシャープな顔つきになっているとはいえ、
初々しいディランがなかなかかわいい。
だが、英語の意味のsmartなキャラ全開である。
不遜とは言わないが、
インタヴューや記者会見の場では
機知に富む機転の効いた返答をしつつ容赦のない言葉も吐く。
むろんそれはジャーナリストに真正面から向き合った“真剣勝負”ゆえのクールな攻めだ。
色々な立場の人とのやり取りをおもしろがっている様子もうかがえる。
気難しそうで生意気っぽくも見えるが、
とにかく率直でクレヴァーだ。

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ピアノを弾くディラン、
タイプライターを打つディランなどなど、
なにしろ絵になる人である。
楽しそうなディランも、
気を荒くしているディランも見せ、
巨匠になる前ならではの人間味が滲む。


ジョーン・バエズ、ドノヴァン、アラン・プライス アレン・ギンズバーク、
アルバート・グロスマン、ボブ・ニューワースの姿も見られる。
リハーサル・シーンも見どころだ。

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1963年のセカンド『The Freewheelin' Bob Dylan』に収録の「Masters Of War」を
カナダのISKRAが2004年のファーストの『Iskra』でカヴァーしたように、
当時のディランは我が道を行くパンク/ハードコア・バンドにつながる部分も少なくない。
もちろん映画の中で流れてくる曲の歌詞の日本語字幕(寺尾次郎による新訳)もありだ。

同じ場のシーンを長時間続けることがほとんどなく、
場面り切り替えも速くてスピーディーなテンポも特筆したい映画である。


★映画『ドント・ルック・バック』
1967年 | アメリカ | モノクロ | 96分 | リマスター版DCP |
© 2016 Pennebaker Hegedus films.Inc
5月27日(土)より新宿K’s cinemaほか 全国順次公開
http://dontlookback.onlyhearts.co.jp/


映画『パージ:大統領令』

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“1年に一晩12時間だけ殺人を含むすべての犯罪が合法化される”という法律の是非を問う、
米国大統領選の真っ只中のカオスを描いた2016年のアメリカ映画。
『パージ』『パージ:アナーキー』に続く“パージ”シリーズの第三弾である。
ロックンロールを産んだ地だけに良くも悪くももともと馬鹿げた気風を持つ国だが、
荒唐無稽ながら銃社会で何が起こっても不思議はない今の米国ならあながち誇大妄想とは思えぬ設定だ。
スリラー/ホラー・テイストに彩られたテンポのいいエンタテインメント作品ながら、
リアリスティックに仕上げられていて最後まで目が離せない。
デイヴィッド・ボウイの「I'm Afraid Of Americans」などの音楽も場を盛り立てる。


オーエンズ牧師率いる極右政権NFFA(New Founding Fathers of America)が支配するアメリカ。
政府は犯罪抑制の最終手段として、
“パージ(purge[粛清])”こそがアメリカを偉大にしていると容認していた。
だが“パージ”が貧困層や弱者を排除しようとしていると訴える無所属のローン上院議員らの台頭により、
賛成派と反対派との間で国内は分断されてこの映画の舞台のワシントンDCでも加熱。
選挙戦でオーエンズ牧師が苦戦を強いられている大統領選の真っ只中で
警察も病院も機能しない“パージ”の12時間が幕を開け、
ローン上院議員がNFFAに狙われる。

以上がストーリーの序盤の大筋である。

メイン

まず映画館のスクリーンで見る価値ありありのダイナミックな映像に引き込まれる。
アメリカン映画ならではの派手なヤり合いが堪能できるし、
血も大量に流れるからホラー映画としても楽しめる。
ただ会話の端々にはクスッと笑えるユーモアもまぶされているが、
すべてにおいて中途半端なジョークに逃げることはない。

この映画がハロウィンの大人版みたいなコスプレでもって“パージ”しているところに、
お祭り騒ぎで人殺しをすることに対する皮肉を感じる。
お菓子のチョコバーの万引きを咎められた女子高生が店主にリベンジするレベルのものとか、
ほとんど単なる腹いせレベルで“生贄”をヤることも多く、
イージーな殺人事件の多発を表しているようにも見える“パージ”だ。
戦争などだけでなく一般的に“死”を軽く扱う風潮へのグロテスクな警告にも映る。
だから殺しのシーンも真剣で、
『バイオレンスジャック』や『北斗の拳』を彷彿とさせる漫画ちっくなシチュエーションを
シリアスな表現力で強靭なものにしている。
こういうことをリアルな事象として捉えて描いた映像と脚本だからリアルに響いてくる。

夫婦間のもつれ等のワケありの“パージ”も行なわれるが、
いわば“ガス抜き”でストレス発散の単なる弱い者いじめが多い。
“パージ”は浄化であり社会の役に立たない“ゴミ”の大掃除が目的ということになっている。
なんでもかんでも“クリーン”を良しとして“汚れ”を許さない妙な潔癖症の最近の日本も思い浮かぶ。

サブ1

本物の米国大統領選真っ只中に制作された映画ならではの生々しく生臭いエグさに引き込まれる。
ラフな作りのようで米国の様々な”要素“を緻密に引っかけて示唆に富むところがポイントだ。

ローン上院議員とオーエンズ牧師がメインの登場人物と言えるが、
大統領候補ながら一種の黒幕みたいな存在になっているオーエンズ牧師はそれほど表に出てこない。
暗殺のターゲットになったローン上院議員はもちろんこと、
彼女を“守る”人たちが映画にヒューマンな肉付けをしている。
ローン上院議員のボディガードを仕事で担っている男もいるが、
全員が“パージ反対”とはいえ偶然の出会いで彼女をガードすることになった人たちだ。
その面々が、
犯罪歴を持ちながら“アメリカン・ドリーム”よろしくとばかりにコツコツ努力し“社会の底辺”で更生し、
米国の良き部分のDIY精神で自分の生活/存在基盤を築いた者ばかりというのも特筆したい。

脚本が書かれたのが2014年ということに驚かされる。
2年後を予見していたみたいなカオスで、
撮影当時は候補者の一人だったトランプ大統領の誕生を意識したかのようなディテールなのだ。

トランプを支持したのはいわゆる“ラスト・ベルト”をはじめとする貧困層が目立つらしいが、
この映画の“パージ”がホームレスなどの最極貧層を標的にしている点も興味深い。
“反パージ”の面々が黒人中心ということと、
“反パージ”を殲滅せんとする白人至上主義の傭兵の存在に象徴されるように、
人種問題を反映しているようにも思える。
ヒスパニックの問題は昔からとはいえメキシコ移民の男も主要登場人物にしているのも驚きだ。
監督らがヒラリー・クリントンを支持していたかどうかは関係なく、
“パージ”反対を訴えるこの大統領選の“対抗馬”のローン議員が女性という設定も、
トランプやそのブレイン達の女性蔑視への異議を意識していると解釈できてしまうほどだ。
大統領選の有力候補のオーエンズ牧師が仕切る“処刑”が教会で行なわれ、
それがまたイスラム国を思わせるプリミティヴな手法なのも宗教問題への強烈な批評である。
DEAD KENNEDYS(『In God We Trust, Inc.』収録の「Moral Majority」参照)やMDCなどの、
米国の政治的なパンク・バンドが歌ってきたモラル・マジョリティの問題もイメージする。

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“反パージ”の人間も一枚岩ではなく結束し得ないところもリアリティがある。
ギャングが一種の“義賊”になって鍵を握り、
“正邪”が入り乱れていることも本作の“隠れメッセージ”にも思える。
“クリーン”を唱える絶対的な正義こそ恐ろしいのは“パージ派”を見ればわかろうってものだ。

話し合いを試みた狂信者が殺されたからこそ生き延びられたような人もいる。
殺さなければ殺される。
それがUSA!と言ってしまえばそれまでだが、
理想を現実のものにするためにナイーヴな楽観性はお呼びじゃないのが冷厳な現実。
だから終盤も“大団円”で収まらず、
混乱が続くことを示すエンディングも現在進行形の世界と共振している。

一見の価値あり。


★映画『パージ:大統領令』
2016年/アメリカ/109分/スコープサイズ/ドルビーデジタル5,1ch/R15+
4/14(金)からTOHOシネマズ 日劇他にて公開。
製作:ジェイソン・ブラム(『パラノーマル・アクティビティ』『インシディアス』)
×マイケル・ベイ(『トランスフォーマー』)
監督・脚本:ジェームズ・デモナコ(『パージ』『パージ:アナーキー』)
主演:フランク・グリロ(『パージ:アナーキー』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』)他。
ユニバーサル映画  配給:パルコ  
製作:プラチナム・デューンズ、ブラムハウス、マン・イン・ア・ツリー・プロダクション製作
(C) 2016 Universal Studios.
http://purge-movie.com/


映画『PARKS パークス』

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東京・吉祥寺の井の頭公園100周年の年に公開される“音楽青春映画”。
現在と過去と未来をつなげる幻のラヴソングを完成させるべく、
橋本愛と永野芽郁と染谷将太が
井の頭公園を中心にして吉祥寺を舞台に繰り広げる物語だ。
『嘘つきみーくん~』『5windows』で知られる瀬田なつきが監督・脚本・編集を担当し、
トクマルシューゴが音楽を監修している。

サブ1*トリミングやアップで使う際は事前にご連絡下さい_convert_20170313105303

花見の名所としても知られる井の頭公園だけにオープニングは桜。
窓から井の頭公園が見下ろせるアパートの2階で一人暮らしをする純(橋本愛)は、
やることなすこと中途半端で逃げてばかりで卒業も危うい大学生。
そんな純のもとに突然、小説を書こうとしている高校生のハル(永野芽郁)が現れ、
二人はハルの父親の昔の恋人を探すうちに音楽スタジオで働くトキオ(染谷将太)の家を訪れる。
まもなくその恋人が残したプライヴェイト録音のオープンリールのテープを発見し、
それを再生してみると50年前の二人のデュエットが聞こえてきた。

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以上が序盤のストーリーだが、
純とハルとトキオの現在がメインながら、
ハルの父親の青春時代だった過去を“回想”しつつ、
純とハルとトキオの未来を見据える映画だ。

父親を題材にハルが書く小説も“もうひとつの脚本”みたいになっていて、
“ネタ”でふくらんだ想像でハルが50年前の父親を描く“再現フィルム”の過去が現在と交錯し、
時代を行き来する作りである。

昔の吉祥寺駅周辺の写真も適宜挿入。
井の頭公園の中はマイナー・チェンジはしても基本的なところは変わってない。
大切な思いは変わることはない・・そんなこともほのめかされているかのようだ。

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メイン出演者の3人の素朴で愉快な奮闘ぶりが見どころ。
言葉をキャッチボールしながらアドリブ多用でセリフを進めたように見えるほど息が合っている。
橋本愛(『告白』『あまちゃん』『古都』)がしっかり者のようでダメダメな女性を、
永野芽郁(『俺物語!』『こえ恋』『真田丸』)が一生懸命な謎の女の子を演じ、
染谷将太(『寄生獣』『ソレダケ/that’s it』『バクマン』)は
『みんな!エスパーだよ!』シリーズを思い出すメガネ姿でノリのいい男を演じている。
橋本はアコースティック・ギターで弾き語り、
染谷はラップも披露するが、
純とハルとトキオの三者三様のキャラや行動そのままに、
最後まで、つまずき、つまずき、ずっこける。
一致団結に成り切れないところにもリアリティを感じた。

石橋静河、森岡龍、佐野史郎、柾木玲弥、長尾寧音、麻田浩らが脇を固め、
吉祥寺バウスシアターの閉館時のスタッフでもあった井手健介をはじめとして、
高田漣などの吉祥寺に馴染みのミュージシャンらがミュージシャン役も務めてもいる。

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個人的には、
吉祥寺に32年暮らしてきて今住んでいるのが井の頭公園まで歩いて5分弱の所だけに、
後にも先にもこれほど自分が知っている場所ばかりの映画はないと思われる。
どこで撮ったか全部わかる。
家のすぐそばだから屋上で井の頭公園の全景を撮ったと思しきマンションまでわかってしまった。
かゆいところに手が届いたロケ地が現れるたびに顔がほころんだ。
吉祥寺進出が新しめで本作にふさわしい雰囲気のレコード店のCOCONUTS DISK、
レコーディングも行なうリピーターが多く本作を引き締める吉祥寺の老舗音楽スタジオのGok Sound、
多数営業する吉祥寺のライヴ・ハウスの中でも本作のムードに近いSTAR PINE'S CAFÉ、
さらにサンロード、ハモニカ横丁、井の頭自然文化園(動物園)、成蹊大学などなど
吉祥寺周辺の名所が続々で、
ちょっとした吉祥寺観光気分である。

日常からかけ離れた感覚を味わうのが映画の醍醐味の一つだが、
撮影場所があまりに日常すぎる映画を観るのもオツなもんだと思った。

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もちろん季節関係なく楽しめるが、
やっぱり春にピッタリだし、
映像もちょい寒色混じりの暖色の映画だ。
トクマルシューゴが監修した劇中音楽や相対性理論によるエンディング・テーマも相まって、
ポスト・ロックな趣の作品に仕上がっている。
と同時に『PARKS パークス』の鍵を握っている曲が象徴するように、
1970年前後のまったりした日本のフォーク・ソングを思わせる甘酸っぱい匂いも鼻をくすぐる。

ほんのりと淡いしあわせ感に包まれている。
まさに、井の頭公園の空気そのものの。
観ていると目的もなく井の頭公園の中を一人で歩いている時みたいに切なくもなった。


★映画『PARKS パークス』
2017年/日本/カラー/118分/シネマスコープ/5.1ch
4月22日(土)よりテアトル新宿、
そして4月29日(土)より吉祥寺駅から徒歩1分の老舗映画館・吉祥寺オデヲンでも公開!
ほか全国順次公開。
©2017本田プロモーションBAUS
http://parks100.jp


映画“イタリア ネオ+クラッシコ 映画祭2017”

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東京・YEBISU GARDEN CINEMAで<イタリア ネオ+クラッシコ 映画祭2017>が開催中。
いわゆる古典と“新たなる古典”のイタリア映画18作品の上映で、
旧作のほとんどがデジタル・リマスター版だ。

ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(1948年)や
フェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』(1953年)などの、
1970年以前の映画が大半を占める。
『フェリーニの道化師』と『汚れなき抱擁』以外の14本はデジタル・リマスター版による上映で、
大半がモノクロ映像だが、
モノクロでもデジタル・リマスター版はいい意味で人物や事物を現物に近い感じではっきりと見せる。

一方で2000年代の映画は、
パオロ・ソレンティーノ監督の『もうひとりの男』(2001年)と『愛の果てへの旅』(2004年)、
マッテオ・ガッローネ監督の『ゴモラ』(2008年)である。

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(『無防備都市』の一シーン)

その中から『無防備都市』をデジタル・リマスター版の試写で観た。
ロベルト・ロッセリーニ監督による1945年の映画で、
<イタリア ネオ+クラッシコ 映画祭2017>上映作で一番古い映画でもある。
1943年~1944年の史実を基にし、
ドイツ軍に占領されたイタリア・ローマで反ナチ闘争に従事するレジスタンスの闘士たちに加え、
民衆やナチも描く。
計103分の二部構成で、
共産主義者とカトリックの聖職者が組んだレジスタンスの面々が中心。
制作時期を思うとまさにリアルな作品だ。
第一部にはユーモアもちりばめられているが、
第二部では余裕がなくなって深刻に。
プリミティヴな道具が使われているだけに残虐性が際立つ拷問シーンや公開銃殺シーンも含めて
見せ方が絶妙で、
心理ドラマ的な展開も行なわれて人物たちの感情表現の彫りの深さにも痺れた。
今回5回上映される。


★映画“イタリア ネオ+クラッシコ 映画祭2017”
http://mermaidfilms.co.jp/neoclassicoitalia2017/


映画『娘よ』

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アジアを“舞台”にしたグレイトな映画が続く。
今回紹介する日本初公開のパキスタン映画もその一つだ。
この作品が長編デビュー作となる、
1974年パキスタン生まれの女性アフィア・ナサニエルが監督・脚本・プロデュースを行なっている。

パキスタンの村で起こった実話を基に作られた映画だ。
いわゆるテロとは直接関係ない映画だが、
イスラム過激派組織のパキスタン・タリバーン運動に“暗殺”されかけて
2014年に17歳でノーベル平和賞を受賞したマララもパキスタン出身で、
彼女が狙われた背景をイメージすると一層わかりやすい映画とも思う。

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パキスタンとインド、中国の国境にそびえ立つ山脈の麓が映画の舞台。
多くの部族がひしめき合う地で、
そのうちの一つの部族に属する10歳の娘と母と父の家庭から物語は始まるが、
まもなく血で血を洗う部族間のトラブル解決のために娘が“取引のブツ”にされそうになる。
だが、
結婚をはじめとして女性ゆえに自由や自己選択がなかった自分の経験を活かして母は娘を連れ出し、
掟に縛られた部族を脱出して文字どおりの命がけの逃亡を決行。
名誉丸つぶれで体面が汚された両部族の男たちが執拗に捜索する中、
道中の序盤で出会ったトラック運転手の男を巻き込んで母と娘は逃避行を続ける。


山あり谷ありながらストレートでわかりやすいストーリー展開だが、
やはりある程度決まった音楽スタイルながら無数のヴァリエーションがある“ロックンロール”と同じく、
物語としては普遍的な定盤のシンプルな逃避行劇でも監督らの手腕とセンスによって無限にふくらむ。
本物に古いも新しいもない。
政治性を露わにしてないとはいえ、
ジェンダーの問題や家族関係などの社会的な問題で肉付けされ、
映像力と音楽力も相まって深い人間ドラマに仕上がっている。

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明るい素材の映画ではないが、
山岳地帯メインの大自然の景色をはじめとして土の匂いが漂う秋色の映像に魅せられる。
かと思えばドギツイ配色センスのトラックなどの鮮烈な色使いのアイテムの数々に驚かされ、
淡い色合いの民族衣装も映画に彩りを添えている。
さらに村人たちの生活もしっかりと映し込んでいるからこそ、
これが必ずしも特例ではなく彼の地の一般の人の間で起こっている出来事であることをさりげなく示す。
やはりセリフで理屈をこねるより、
ガツン!とアピールする映像は正直だしダイレクトに伝わってくるとあらためて思う。
景色だけでなく人物の意識を掘り起こす遠近のカメラ・アングルも見事だ。

民謡も含めて情趣に富んだ民俗音楽がいい感じで挿入され、
映画全体のゆっくりとした躍動感に一役買ってテンポも良くしている。
もちろん“生”と“命”の肝の作品だから、
音楽が聞こえてこない場面でも心のビートがずっと振動している映画だ。

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アジアやアフリカなどの地域によっては今も
いわゆる民族間というより部族間の争いが元で内戦が始まるケースも絶えないわけだが、
部族に限らず掟が支配する様々な集団が“犠牲者”を作り出す怖さもあらためて知る。

映画の中では“イスラム”が強調されていないとはいえ、
パキスタンがイスラム国家だけに否応なく“そういうイメージ”で薄っすらと覆われてもいる。
“やられたらやり返す”という考え方もその一つだが、
部族間の憎悪復讐の連鎖を断ち切るために娘が“生贄”になりかかる。

少なくても『娘よ』の地では女性に人権はない。
死ぬまで続きかねない母と娘の逃走は彼の地の伝統と言えそうな女性の受難を象徴している。
女性に対する迷信と呼ぶべき奇妙な言い伝えは子どもたちの間にも広まっていて、
風習というより因襲と呼ぶべきしきたりを初潮が始まる前後には思い知らされる。
“娘を自分みたいな目に遭わせたくない”“娘にはしあわせになってほしい”という気持ちに駆られ、
「15才で結婚させられて私は終わり。自分の母親にも会えなくなった」この母親は部族からの脱出を決意。
この映画は必ずしも親が子どものしあわせを願っているとは限らないことも見せるが、
この母親は命がけで娘がしあわせになることを願って命がけで実践している。
さらに娘を救うことが逃亡のメインの動機ながら、
娘の母親は何年も何年も会うことが半ば許されなかった自分の母親との再会も目指していた。
とにかく母と娘の強靭なつながりがこの映画の肝である。

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家族の問題も炙り出している。
一般的には“家族の絆”とかそういう単細胞な観点で家族ってものが語られがちだが、
基本的にはあまり選べない人間関係だけに“家族が地獄”という人は世界中にいくらでいる。
助け合い協力し合うことがどの家族でも行なわれているわけではないし、
外ヅラは良くても家族内の人間を利用することに罪の意識がない無神経な自己愛人間もいる。
計算高い人間は自分のエゴを満たしながら利益や体裁のために、
親だろうが子だろうがきょうだいだろうが関係なく利用する。
家族内は血のつながり云々の拘束性が高いからこそ陰惨なのは日本の家庭内殺人事件でもよくわかる。。
『娘よ』を観てそんなことをあらためて思いもする。

部族と家族は抑圧的な拘束力という点で共通するものがあると読むことも可能な映画だろう。
『娘よ』では娘の父親の兄弟間で嫉妬の感情も元々あり、
娘の父親の弟が娘の母親(父親の妻)を探すのは部族のためというより彼女を自分のモノにするためで、
そのへんの絡みでもまたストーリーがふくらんでいく。

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ただ『娘よ』が心を揺さぶるのは、
そういったネガティヴな面を突き抜けるポジティヴな人間の交流がていねいに描かれているからだ。
大半の映画と同じように『娘よ』も人間のつながりが肝で、
男性優位社会批判にも受け取れる映画ながら母娘の味方になる男もいる。

母と娘の逃走劇のキーパーソンになっているのは、
途中からずっと二人に関わり続けるトラックの運転手の男だ。
イスラムのムジャヒディンの戦士を経験して修羅場をくぐってきて訳ありの人生を送ってきただけに、
トラックの運転手は母娘に出会って状況を察知した当初は“もう面倒事は御免!”の態度だったが、
部族の有力者の力で包囲網が張られて二人が“指名手配”までされている状況の中、
命がけで母娘を手助けしていく。
三人が親密になっていく様子が見どころで、
母親と運転手の交感にロマンスを感じるのは僕だけではないだろう。
部族の男たちも同じように感じて母親の行為を駆け落ちと解釈し、
女性の不貞か絶対に許されない地ゆえに一層激昂して執拗に母と娘を追い求める。

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トラックの運転手は暗黒の中に火を灯す人物だが、
もう一人、映画の灯になっているのが娘である。
無邪気な中にドキッとした色気も香らせ、
“輝ける道”につながる存在感を放っている。

とにかくどの俳優も熱演で感情表現が素晴らしく、
特にメインの三人である母親、娘、運転手の感情のワイルドでデリケイトな震えを
映画としてしっかり描写した監督の手腕も特筆したい。
治安が不安定な地でイスラム法的にも自由が利かない撮影も反映したかのような息を呑む緊迫感と、
まったりした叙情の調べが背中合わせであることもほのめかしている。
三人が交わす会話の一つ一つも味があるし、
さりげなく示唆に富んで希望のロマンが滲む言葉も多い。

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観た人ひとりひとりの想像の中でその後の展開を作らせる締めもいい。
余計なお世話の過剰な説明や付け足しは興ざめなだけだから。
ラストは、
視野が狭く高圧的で自己保身の人間たちが支配する現実社会では思うように進まない不条理に対して、
奇跡を祈るかのような救いの光である。


★映画『娘よ』
2014年/パキスタン・米国・ノルウェー/デジタル/93分
3月25日(土)〜東京・岩波ホールにてロードショー。以降、順次全国公開。
© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC
http://www.musumeyo.com/


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プロフィール

行川和彦

Author:行川和彦
                                             Hard as a Rockを座右の銘とする、
音楽文士&パンクの弁護人。

『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)
『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)
『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)
を発表<いずれもリットーミュージック刊>。

ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
                                

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